『三番セカンド徳川君』

このアナウンスのコールが球場に木霊したのは本日二度目である。

その二度目は試合の中でもキーポイントになりそうな局面で回ってきた。

明日香「ツーアウト満塁…。」

明日香はテレビの前で小さい声で呟いた。

今中「その投手も凄い…が、その打者はさらに上の次元にいるみたいじゃ…。」

明日香「矢月さんのさらに…上…?」

明日香は今中の言葉を聞いた後、バッターボックスに立つ異様な雰囲気を持つ男を見た。

明日香「(彼とは一回だけ会ったことがある…。あの時はそこら辺にいる高校生と変わらなかったのに…。)」

普段の徳川とはあまりにもかけ離れている迫力で明日香は思わず唾をゴクリと飲み込んだ。

今中「しかし…そのピッチャーも不運じゃのぅ…。」

明日香「不運…?」

明日香は今中の言葉に耳を傾けた。

しかし、その答えはテレビから聞こえてきた。

アナウンサー「さぁ!!ツーアウト満塁です!!この回は簡単にツーアウトをとった矢月投手でしたが、九番桐生君のテキサスヒットから一番吉川君、二番城君に対して死球、セカンドゴロエラーとして塁上が埋まったわけですが、解説の武田さん。今、伝令が出てきてマウンドで何を話しているのでしょうか?」

武田「そうですね。恐らくピッチャーには落ち着いて低めをつけと言っていると思いますよ。一番怖いのは徳川君の長打ですから。私が監督なら単打の一点ならOKですね。」

そんな解説をしている間に伝令はベンチへと帰っていった。

矢月「……ちっ…。」

矢月は舌打ちをしながら足場を乱暴に掘っていた。

宋「(…矢月…。)」

先ほどの伝令で星光の監督が出した指示は…

矢月「(…敬遠…!)」

矢月は下唇を悔しそうに噛みながらストレートを一球外に外した。

『ボール!』

明らかなボール球に球場が俄かにざわつき始めた。

そして、二球目も明らかなボール球を投じる。

この球に対して、球場から一斉にブーイングが起こる。

やはり、徳川という男の知名度は凄いらしい。

この試合が高校に入ってから初めての全国規模の舞台にもかかわらずこの人気である。

恐らく、中学の時からこの徳川、そして神下は全国的にも有名なのだろう。

矢月はそう頭の中で納得して、三球目を投じる。

そのボールは勿論、外角のストライクゾーンを大きく外れた。

ブーイングが最高潮に達した時、捕手宋だけにしか聞こえない小さな声で徳川は呟いた。

徳川「…矢月さんも堕ちたもんだ…。たかが一年生に満塁で敬遠かよ…。」

宋「何!?」

徳川「これが天下の矢月悠生か。がっかりだぜ…。」

宋「お前!!」

宋が急に立ち上がって激昂しているのを見て、矢月は首を傾げた。

審判「君、私語は謹みなさい。」

審判は最後の宋の声しか聞こえなかったので宋に対してだけ注意をした。

宋は黙って座って矢月にサインを送った。

矢月「(えっ…!)」

宋はサインを送ると真ん中にミットを構えた。

宋「(こんな一年坊主に舐めなれてたまるか!!あの球で来い矢月!!)」

宋の目を見て矢月はゆっくりと頷いた。

矢月「(もうちょっと…隠しておきたかったが…。)」

矢月の脚がゆっくりと上がっていき、例のごとく左腕が鞭のようにしなる。

そして、ボールは真ん中に向かっていった。

この球道を見て徳川は心の中でほくそ笑んだ。

徳川「(くっくっ…。こんな挑発にのるなんて甘いぜ星光!)」

徳川はそう心の中で吐き捨てるとその真ん中のボールに向かってフルスイングした。

しかし…ボールは重量に逆らってホップしていく。

徳川「(こ、これは…!!)」

ボールはホップした後、今度は急激に重力に吸い寄せられるように垂直に落ちた。

徳川「!?」

キャッチャーがワンバウンドでキャッチした時には、球場がざわついていた。

バットが空を斬った後、徳川はボールの行方を見て一言呟いた。

徳川「これが…フェニックス…。」

明日香「フェニックス…。」

テレビの前で明日香はそう呟いた。

明日香の言葉を聞いて今中は驚嘆の声を上げた。

今中「まだ…あの球を放るやつがいたとはのぅ…。」

その今中の言葉を聞いて明日香は勢いよく振り向き今中さん知ってるの?と聞いた。

今中「まぁな…。それにしても、あんな球を平気で放るとは何という肉体のポテンシャル、精神力じゃ…。」

それを聞いて明日香はまた唾をゴクリと飲み込んだ。

今中「お主…。この矢月という投手を超えたいと言ったのぅ…。」

今中は一瞬間をあけた後、明日香にこう告げた。

今中「…相当苦労するぞ…。」

明日香「……覚悟してます。」

明日香はそう言うと両拳を握りしめた。

一方、球場では未だにざわめきが収まらずにいた。

アナウンサー「武田さん、あの球は何なんでしょうか?」

武田「さぁ…?私は見たことがないですね…。」

解説すら知らないというこの球は当然グラウンドの選手達にも驚きを生んでいた。

『な、何なんだ…あの球…。』

城「…朱雀じゃない…!」

そんなざわめきも無視して矢月は振りかぶる。

徳川「(とにかく…何とかするしかない…。)」

徳川は急いで構えて矢月の投球を待った。

徳川「(ここは四球でもいいんだ…。あのボールはワンバウンドしている。とりあえずここは四球でよしだ。)」

矢月の左腕がしなり、ボールが向かってくる。

そのボールが再び浮き上がり、落ちた。

バシィィィ!!!

ボールはまたもワンバウンドでキャッチャーミットに吸い込まれた。

徳川はバットを投げて一塁へ歩きかけた。

しかし…

『ストラーイッ!!』

徳川「なっ!?」

徳川は審判のそのコールに驚き、振り向いたが審判が睨んできたので目をゆっくりと逸らしていった。

徳川「(あの球がストライクゾーンをかすめてるっていうのか…!)」

徳川はこの球を見送ったことによって更にこの球の恐ろしさに気づいた。

徳川「(なんていう球だ…。)」

徳川がそんなことを思っている間に矢月は早くも振りかぶっていた。

矢月「(この球はいくらお前でも打てん!!)」

矢月は前の二球以上に腕を振って投じた。

そのボールは三度同じ軌道を描いた。

ボールがホップした瞬間、徳川はワンバウンド気味のところをスイングしにいった。

徳川「(いくら落ちてもボールの真っ直ぐ下に落ちるはず!!そこを狙う!!)」

そして、ボールはまるで生きているように落ちていった。

徳川「!?」

バシィィィィィン!!!!!

『ストライーッ!!!バッターアウッ!!!スリーアウッチェンッ!!!!!』

徳川のバットは空を斬っていた。

全員がベンチへ下がっていく中で徳川はボールがワンバウンドしたところを驚きの表情で凝視していた。

徳川「(真っ直ぐ…真っ直ぐ落ちなかった…?)」

今中「…何というやつじゃ…。あれはただのフェニックスじゃないわい…。」

今中がそう言ったのを聞いて、明日香はえっ?と疑問の声をあげた。

今中「…普通のフェニックスはフォークの改良版と言ってもいい。だが彼のフェニックスは動いとる。わかりやすく言えばムービングファストボールじゃ…。」

明日香「ムービングファストボール…?」

今中「なんじゃ…知らんのか。よく外国人が投げる動くボールのことじゃよ。」

明日香「そ、そのムービングファストボールを矢月さんが投げているんですか?」

今中「あぁ…ほぼ間違いなくな。じゃないとボールの真下をスイングしたのに当たらないはずないのじゃ。」

明日香はその話を聞いて目が輝いた。

明日香「(流石、矢月さん…。私も、私もこんな投手になりたい…!)」

明日香の目は尊敬の、そして憧れの眼差しを向けていた。

徳川は守りについても考えていた。

しかし、あの球の正体はすでにまとまっていた。

徳川「(あれは…ムービングボール。だが…問題なのはそこじゃない…。)」

徳川はワンバウンドをしたところを見た時のことを思い出していた。

徳川「(ボールが落ちた時についたと思われる窪みが3つあった…。)」

これは何を示しているのか?

その答えはもうわかっていた。

しかし、この答えは信じたくなかった。

この答えを認めてしまうと…

徳川「(絶対打てないってことになる…!)」









全国高等学校野球選手権大会の一回戦屈指の好カードが行われている時、ある市立病院では大変なことが起こっていた。

黄瀬「………………」

看護婦「ね〜…。いい加減にご飯食べてよ〜…。」

看護婦が泣き言を言い出すほど黄瀬が野球に集中している時、病院内は大騒ぎになっていた。

三階の集中治療室の近くの個室。

この個室の入院患者がいなくなったのだ。

大慌てで探している看護婦や医者。

それを尻目に患者は外を歩いていた。

手にグローブとボールを持って…。

そのグローブには"由香里"という刺繍がしてあった…。