5月。世間ではゴールデンウイークにどこにいくかという話し合いをしている家族が沢山いる中この夕陽ヶ丘高校野球部の面々は練習に明け暮れる毎日を送っていた。

榊原「お前らぁぁぁ!!!そんな打球も捕れないようじゃ甲子園なんて夢のまた夢だぞ!!!」

最近名物と化している榊原の鬼ノックが延々と続けられる中外野の芝生で油を売っている二人の中心打者が座りこんでいた。

羽柴「なぁ…黄瀬?」

黄瀬「…なんすか?」

羽柴「5月だな…。」

黄瀬「5月っすね…。」

羽柴「何にもやる気がしねぇな…。」

黄瀬「5月っすからね…。」

二人がこんなほのぼのな会話をしていると後ろからグローブが頭にすごいスピードで落下してきた。

バシィ!!×2

黄瀬&羽柴「痛てッ!?」

明日香「ちょっと遼!!何サボってんのよ!!先輩もちゃんと練習してくださいよ!!」

そのグローブの正体は野球部のマドンナ(黄瀬以外は全員そう思ってる)こと黒木明日香だった。明日香はもう!と言いながらグラウンドをまたゆっくりと走り始める。

後ろ髪が歩を進める度に上下に揺れる。

元々長いロングの髪型だったが部活のときは邪魔だと言ってポニーテールにしているのだ。

黄瀬「あいつ段々瑞希に似てきたような…。」

羽柴「まぁいいじゃん可愛いんだし!」

黄瀬は羽柴にははっ…と苦笑いを浮かべ走っている明日香の方に目をやった。

時は5月になり夏の予選大会まで言うほど時間があるわけではない。

しかし自称ミスターマイペースの黄瀬はこの5月になってもバットを握っていなかった。

これはただのサボりというわけではなく黄瀬の調整法である。

この調整法で彼は中学シニア時代クリーンアップを担っていた。

この調整法は高校になっても変わらない。いや変えられない。

黄瀬「正当な理由でサボることができなくなるからな…」

バシィ!!!

黄瀬「ぶっ!!!?」

明日香「やっぱサボるつもりだったんじゃない。」

明日香はこっちを睨みながらまたゆっくりとグラウンドを走り始めた。

黄瀬「ってかあいつ…速すぎるだろグラウンド一周すんの。」

明日香が仮入部してしばらく経つがその成長速度は驚異的なものだ。

グラウンドを走る。つまり足腰のスタミナは野球部一だろう。スタミナに自信があると言っていたキャプテンでも舌を巻くほどだ。

基本的なキャッチボールも最初のころは球の勢いだけでまともに相手が捕れなかったが最近ではキャッチボールならほぼ完璧に胸元に返ってくるようになった。

ブルペンではまだまともにストライクは入らないもののMAX128kmを計測した。

まさに神がかった成長を遂げている明日香自身はどの分野においてもまだしっくりこない部分があると言って毎日必死に練習していた。

黄瀬「(もう自分が仮入部ってことすら忘れてる感じだしな…)」

黄瀬はランニングを終えブルペンに直行する明日香を横目に頑張るねぇと小さく呟いた。







榊原「集合!!」

黄瀬は榊原の大きな声が耳に届きめんどくさいと思いつつキャプテンのほうに小走りで駆け寄っていった。

榊原「今日は重要な知らせが2つある!まず一つ目だ。監督どうぞ。」

監督と呼ばれた白髪白髭の老人がゆっくりと野球部の面々の前に立った。

佐沼「ワシがこのチームの監督をやることになった佐沼昭浩じゃ。よろしく頼むぞ。」

老人は腰を限界までおり頭を下げた。ずいぶん礼儀がしっかりしている。

さすがにずっとこの状態で無視することはできないので拍手で出迎えた。

明日香「ねぇ遼?あんなお爺さんに監督なんてできるのかなぁ?」

黄瀬「さぁな…?(あの人どこかで見た気が…)」

黄瀬がそんなことを考えていると監督は大きな欠伸をしてじゃあ早速眠らせてもらうと言ってベンチで横になってしまった。

その様子を野球部の面々は唖然として見ていた。

黄瀬「(…勘違いだな…。)」

黄瀬はそう決めつけて外野にまた足を進めていった。

榊原「どこ行くんだ!黄瀬!」

黄瀬「いや練習再開榊原「まだ一つ報告がある。二つって言っただろ!」

そういえばそういうこと言ってたような…。

黄瀬はさっき言われたことを頭の中で思い出しながら渋々その場に腰を下ろした。

しかしこの後そんなことを考えている余裕がなくなる。

榊原「二つ目は転校生のことだ。一年の皆は知ってると思うが今日転校生が家の学校にきた。その転校生が野球部に入ってくれた。今から紹介したいと思う。入ってくれ!」

榊原がそう言うとグラウンドの入り口からある一人のよく知った顔がゆっくりと歩いて入ってきた。

黄瀬「…は?」

武沢「武沢篤信です!名古屋から親の転勤で来ました。野球では足とミート力は自信があります!皆さんよろしくお願いします!」

ナンダコレ。なんかのドッキリ?もしくは夢?

黄瀬は激しく焦っていた。今ならキングコングやキレた瑞希からも逃げきれるかもしれない。

それぐらい今の黄瀬は焦っていたしこの場から今すぐ逃げ出したかった。

武沢篤信。黄瀬の中学シニア時代のチームメートだ。

シニア時代は一番を打っておりかなりの俊足だった。

そんな彼が何故この学校に転校してきたのか?

答えは本人の言った通り親の転勤の都合でだ。

つまり全くの偶然であり黄瀬はアンラッキーだったということだ。

しかし黄瀬はそんな悠長なことは考えられずいやな汗が滝のように流れていた。

榊原「では武沢君はそうだな〜…。よし黄瀬!お前が面倒見てやれ!」

いやなんでやねん!

黄瀬「(やばい…思わず関西弁がでてしまった…)」

冷や汗が吹き出ている黄瀬を尻目に部員たちは各自の練習場所へと移動していく。

そして顔を隠すために後ろを向いていた黄瀬の背後に武沢が歩いてきた。

武沢「君が黄瀬君?いや〜偶然だな〜!中学の時の俺の親友と名前が一緒なんだよね〜!いや〜偶然ってあるもんだな〜」

その黄瀬がここにいる黄瀬なんだよ!

そう黄瀬が心の中で悪態をついてるのも知らずに武沢はニコニコして黄瀬の背中を見つめていた。

黄瀬「(だがまだ気づかれていないのは幸運だ。)」

しかし黄瀬の唯一の幸運もこの女によって打ち砕かれることとなる。

明日香「どうしたの遼?武沢君後ろにいるよ?」

そう一言告げるとブルペンへと駆け足で向かっていった。

黄瀬「………………」

武沢「遼?…」

なんちゅう爆弾落としてくんじゃ〜!!

最近明日香に遼と呼ばれるようになっていた黄瀬は激しく後悔した。

こんなことならそのあだ名はやめろと言っておけばよかったと…。

武沢「…お前…遼太郎か?」

一瞬の静寂があったあと武沢が口を開いた。

…とにかく誤魔化す方法を考えないと…

瑞希「いつまで後ろ向いてんのよ遼太郎!さっさと教えてあげなよ!」

…終わったorz…。


こうなってしまえばしょうがないので正直に謝った。

読者の皆さんは覚えているだろうか?

黄瀬はバレて怒られるのを恐れているのではないことを…。

武沢「……なんで…なんで俺に言ってくれなかったんだ〜!!!」

武沢はそう叫ぶと黄瀬に向かって漫画みたいな涙を流しながら黄瀬に抱きついてきた。

武沢「苦しかったろ〜(泣)嘘なんかつけるやつじゃねぇもんな〜…」

黄瀬「(激しくうざい…)」

黄瀬はこの後何時間か抱きつかれていたそうだ…。








バシィ!!!

捕手のミットからけたたましい何かが破裂したような音が飛び出す。

明日香「う〜ん…。」

しかしその破裂音を出した張本人は首を傾げていた。

明日香「なんかこう…しっくりこないなぁ…。」

明日香は左腕を頭の上でブラブラさせながら小首を傾げている。

本人は気づいてないがその仕草がたまらなく可愛い。

田代「そうかな〜…?球にキレがあっていい感じだけど?」

明日香とバッテリーを組むことであろう田代は首を傾げている明日香に合いの手を入れる。

明日香「いやでも腕がしなる?っていうのかな?そういうのがないっていうか…」

明日香はあぁもう!と言って地団太を踏んだ。

あまりにも明日香がピリピリムードの空気を醸し出すので田代は考えた挙げ句ある名案を思いついた。

田代「だったらさ!ビデオ研究はどうかな!確かうちの視聴覚室は放課後空いてるし!」

田代が大きな声でそう言うと明日香はまた小首を傾げた。

明日香「ビデオ?でも肝心の見るビデオがなくちゃ…」

田代「そこは大丈夫だよ!羽柴さんがプロ野球のマニアで色んなピッチャーの映像が入ってるビデオとか持ってるんだよ。自由に見てもいいとか言ってたし。」

田代の提案を少し考えている明日香を見て田代がこのまま何球投げてても一緒だよとトドメの一言をかけて明日香も了承した。

視聴覚室に行く途中田代は榊原に呼ばれて結局一人で行くことになった明日香は部室にあった大量のビデオを持って視聴覚室に入った。

視聴覚室は最近誰も使っていないのか歩く度に埃が舞っている。明日香はコホコホっと軽い咳をしながらこれまた埃だらけの椅子に軽く埃を払って腰を下ろした。

明日香「さてと…まずこれからかな…。」

明日香はそう呟くと「日本ハムVS中日 2007年 日本シリーズ第一戦」と書いてあるビデオをデッキに入れた。





田代「どう?ちょっとは成果……なかったみたいだね…。」

用事が終わって視聴覚室に来てみた田代は今の明日香の状態を見てそう言った。

明日香はビデオの山に埋もれてうなだれていた。

明日香「う〜…全然わかんないよ〜…」

唸りながらビデオを見ている明日香は正直不気味だ。

そんな明日香を見て田代も明日香の参考になりそうなビデオを探し始めた。

そんな中明日香が一つのビデオを手に取りデッキの中に入れた。

明日香「…!?…これ!?」

そのビデオのパッケージには「西鉄ライオンズVS東京オリオンズ」と書かれていた。







黄瀬「で?なんで俺が相手しなきゃなんないわけ?」

明日香「だってもう皆帰っちゃったし、それに遼なら実験体にもピッタリだし!」

ニヤッと笑う明日香を見て黄瀬はため息をつく。

あの後武沢に開放されたのは結局部活が終わる数分前せっかくの練習時間(快適なサボり時間)をアイツのために棒に振った。

黄瀬「明日香には悪いけど俺今日ムシャクシャしてるから容赦しねぇぞ。」

明日香「いいわよ〜!絶対打てないもんね〜」

明日香は舌を小さく出しまたニヤッと笑った。

黄瀬はそうかい…と返事をし独特の構えに入る。

黄瀬「よし!こい!」

黄瀬はそう言うと恐ろしく長いバットを強く握りなおした。

明日香は田代のサインに頷きゆっくりと振りかぶった。

そして勢いよく足を振り上げ第一球。

黄瀬「(これは!?)」

腕が鞭のようにしなったと思った瞬間、白球は黄瀬の横を通過していた。

明日香「へへっ!どんなもんだい!」

満面の笑みを浮かべて胸を張る明日香を見て黄瀬はフッと小さく笑いをこぼした後小さく呟いた。

黄瀬「(やっぱ天才だわ…。まぁこれぐらいやってくれないとライバルの俺としちゃ面白くないけどね…。)」

その夜夕陽ヶ丘高校はまた一つ階段を上った。