夏。読者の皆さんは何を想像するだろうか?

燦々と降り注ぐ暑い太陽だろうか?

それとも青々と透き通るような透明度がある海だろうか?

いずれにしても楽しくそして思い出に残るようなことを想像するだろう。

しかし高校球児達にとってはこの季節は戦いの季節である。

思い出には残るがそれが楽しい思い出なのかはたまた苦い思い出になるのかは自分自身にかかっている。

静岡県静岡市営球場。

両翼90m、中堅115mの球場の広さがあり天然芝を敷いてあるグラウンドは綺麗な緑色が目につく。

そんな静岡市営球場で全国高等学校野球選手権大会静岡県予選一回戦が開始されようとしていた。

黄瀬「とりあえず作者が一気に7月まで飛ばしたせいで暑いぜ…。」

黄瀬が早く試合に行きたかった作者に文句を言いつつ汗を拭いながら規定ぎりぎりの長さのバットを念入りに磨いていた。

明日香「いつも思うんだけどよくそんな長いバットで打てるよね。」

もうすっかり野球部の一員となった明日香が後ろから声をかけた。

黄瀬は少し振り向いてまたバットの方に目を向けてその問いに答えた。

黄瀬「まぁ子供の頃からこのバットだから…。慣れってやつだな。」

明日香はふ〜ん…と言ってベンチの前でキャッチボールをし始めた。

黄瀬は自分から聞いたくせに…と悪態をついて明日香を少し睨んだ。

影羽「しかしやっぱ初戦は緊張するな〜」

…だからお前はいつからいたんだ…。

榊原「よし!そろそろ整列するぞ!」

キャプテンの大きな声がベンチ内に響き渡った。

バットの手入れやグローブの手入れをしてるもの、緊張で固まっているものなどが一斉にベンチの前に集まる。

榊原「皆整列する前に聞いてくれ。」

榊原がベンチの前に出てきた全16名の野球部員にそう言うと榊原を中心に円陣を組んだ。

榊原「よしお前ら。とうとうこの日がきた。俺たちの夏が始まるんだ。」

黄瀬「…なんか最後の試合みたいっすよ…。」

瑞希「茶々は入れない!」

瑞希に頭を叩かれて悶絶している黄瀬を軽くスルーし榊原は話を進める。

榊原「だけど気楽にいこう。元気に楽しく…それが夕陽ヶ丘高校の野球だ…!」

榊原がそう言うと野球部員全員が笑って頷いた。

黄瀬「それは…去年までの夕陽ヶ丘でしょ?今年は違いますよ。」

いつの間にか復活した黄瀬が円陣に加わってそう口を挟んだ。

黄瀬「今年の夕陽ヶ丘は元気に楽しく…そして勝つ!!…でしょ?」

黄瀬がニヤッと笑いながらそう言うと部員全員もニヤリと笑った。

榊原「そうだな!よし元気に楽しく…そして勝つ!!夕陽ヶ丘〜〜〜…」

野球部全員「ゴー!!レッツゴー!!!」









全国高等学校野球選手権大会静岡県予選一回戦

先攻 夕陽ヶ丘高校      後攻 八谷工業

1 武沢 8   1 河野 3
2 田代 2   2 大野 9
3 榊原 9   3 吉岡 1
4 羽柴 6   4 中河 2
5 黄瀬 5   5 鴻上 8
6 黒木 1   6 西川 4
7 久保 7   7 橋本 6
8 影羽 3   8 飛田 5
9 青田 4   9 遠藤 7



「プレイボール!!」

審判の高らかな声が球場全体に響き渡って先攻の夕陽ヶ丘高校応援団からトランペットなどの鳴り物での応援が始まった。

「打てよー打てよー打て打てよー!」

「かっ飛ばせー篤信!」

武沢「ひぇ〜…すげ〜数の応援団だな…」

武沢が自校の応援団を見て驚嘆の声をあげる。

それもそのはず、まるで甲子園常連校のような応援団の数だったからだ。

「黄瀬く〜ん!!頑張って〜!」

「羽柴く〜ん素敵〜!!」

もう読者の皆さんは何故こんなにも野球部が人気があるかおわかりだろう。

原因はもちろんこの上記の二人だ。

羽柴は一年生のころから学校内で人気があり試合になると練習試合でも人が集まってきたほどだ。

一方黄瀬の方はというとあまり学校で顔を見ないミステリアスなところがいいとか…(ただ屋上で寝ているだけなのだが…)。

瑞希「モテモテだね〜遼太郎!」

瑞希がからかうような笑みでそんなことを言う。

黄瀬はそんな瑞希を無視して試合に入ろうとしていた。

瑞希は少し頬を膨らまして睨んでみたが相手にしてくれないのに気づいたのか真剣な表情をグラウンドへ向けた。

バシィ!!!

「ストライクバッターアウッ!!!」

瑞希「武沢君が三振!?」

黄瀬「……………」

黄瀬はじっと相手投手のことを見ていた。

田代「武沢君どうだった?」

武沢「すげぇ速かった。後…安易に手出したらえらい目に遭うよ…」

田代「??」

田代は武沢の意見を踏まえてかバットを一握り余して持つ。

中河「(こいつも一年坊か…よし一純!こいつもちょっとビビらしてやれ。)」

吉岡「(よっしゃ。)」

吉岡は中河のサインに頷くと大きく振りかぶり第一球。

ギンッ!

なんとかバットに当たったが打球は力無くファーストミットに収まった。

田代「…こういうことか…。」

田代はいまだに震えてる自分の手を見つめていた。

黄瀬「球質が重いな…。」

瑞希「重い…?」

今まで一言も発さなかった黄瀬がそう呟いた。

瑞希はその言葉の意味がわからなかったのか黄瀬に聞き直した。

黄瀬「あぁ…恐らく球の回転があまりないんだ。だから直球に対してスイングが負けてるんだ。」

黄瀬が瑞希に説明してる間に榊原が三振に倒れ一回の攻撃が終わった。

瑞希「大丈夫…?」

瑞希が心配そうに黄瀬に尋ねる。

黄瀬「…まぁなるようになるでしょ…。」

そう答えてグラウンドへと駆けだしていった。






今自分は何をしているんだろうか?

グローブを持って利き腕の左手には野球のボールがしっかりと握られている。

明日香「(落ち着け落ち着け落ち着け…)」

ボールを一旦グローブに入れ左手を自分の胸に当てて一度深呼吸した。

明日香「(私ならいける私ならいける)」

自分に暗示をかけて もなかなか震えが止まらない。

そんな時に三塁の方向から大きな声がかかった。

黄瀬「お〜い…ビビってんのか〜!」

ブチッ…。

気のせいかマウンド付近でそんな鈍い音が聞こえた。

明日香「誰が…」

プレイ!と審判の声がかかり明日香はゆっくりと振りかぶった。

明日香「ビビってるって…」

そして大きく足を振り上げた。

吉岡「これは…!」

ベンチで見ていた吉岡が思わず立ち上がった。

そのフォームがあまりにも奇抜だったからだ。

『マサカリ!?』

この場にいた全員がそう叫んだ。

そう。そのフォームは往年の東京オリオンズのエース村田兆司のマサカリ投法だったのだ。

明日香「言ったのよーーーー!!!!」

シューー…ドン!!

ミットからロージンの粉が飛び散った。

付けすぎたのかミットがロージンまみれになっている。

「ストライッ!」

「…は、速えぇ…。」

ワァァァ!!!

ストライクの判定にスタンドは我が帰ったように再び騒ぎ出した。

一方打者は完全にその球の勢いに呑まれていた。

「ストライッ!バッターアウッ!!」

一番の河野を三振に抑え少し気が楽になったのか二番の大野をセカンドゴロ、三番の吉岡をキャッチャーフライと三人で片付けて人生初マウンドを終えた。

羽柴「ナイピッチ!球がキレてるよ。」

明日香「はい!」

黄瀬「まぁビビりにしては上出来上出来。」

明日香「誰がビビりよ!ビビってなんかいないし!」

軽く口喧嘩が始まったので皆二人から離れたところに腰を下ろした。

中河「さっきのお前が打ち取られた球141km出てたぞ。」

吉岡「速いはずだよ…。まぁ俺が点をやらなければいい話だ。今日は絶好調だしな。」

中河「だな!頼むぞエースさん。」

中河は吉岡の肩をポンと叩いてホームベースへと向かっていった。

「二回表夕陽ヶ丘高校の攻撃は四番ショート羽柴君」

羽柴「しゃあーー!!!」

自分の名前がアナウンスされると気合いを入れてバッターボックスに向かう。

そして礼儀正しく審判に一礼してバッターボックスに入った。

羽柴「しゃあーこい!!」

吉岡「よっしゃ!打てるもんなら打ってみろ!!」

吉岡が羽柴にそう言い返して第一球を長身から投げおろした。

ククッ…バシィ!!

「ストライク!」

羽柴はバットを振るのを途中で止めたが判定はストライクだった。

羽柴「(ふ〜ん…さすが去年ベスト16のチームだな…。挑発には乗ってこないか…。)」

夕陽ヶ丘高校の一回戦の相手八谷工業。

去年ベスト16のチームで三回戦で惜しくも王者星光学園に敗れはしたもののエース吉岡、四番中河のバッテリーを中心としてまとまりのある野球をしてくると聞いている。

吉岡「(お前らみたいなところに俺達は負けられないんだ…!)」

中河「(この1ヶ月間俺達は"矢月"を打つために練習してきたんだ。こんなところで終わるわけにいかない!!)」

ドシャ!!

「ストライッ!!バッターアウッ!!」

『羽柴が…三振…。』

『夕陽ヶ丘って確かあのバッターしか打てないんじゃなかったっけ?』

未だグラウンドはざわついてる中当の本人羽柴は次のバッターに笑顔で話しかけていた。

羽柴「いや〜やられちったよ!」

黄瀬「…そんなに気使ってくれなくてもいいっすよ…。」

黄瀬は羽柴に呆れた表情でそう言った。

羽柴「まぁまぁ!この雰囲気でお前が打った方が盛り上がるだろ?(笑)」

ニヤリと笑う羽柴を見て黄瀬はさらに呆れた表情になる。

黄瀬「ったく…。俺あんま目立ちたくない人なんだけどな…。」

そう小さく呟きバッターボックスへと向かった。

球場と同じくこのバッテリーも心の中では安心しきっていた。

中河「(よし!羽柴を抑えれば後は一年坊と女だ。この回は大丈夫だな。)」

吉岡「(そうですね。)」

バッテリーがそんなことを思っているとはつゆ知らず黄瀬がゆっくりとバッターボックスへと入ってきた。

黄瀬「しゃす…。」

一応不利な判定をされたら困るのでペコッと頭を下げておく。

そして特徴のある長いバットを背中に背負うような形で構えた。

吉岡「(物干しざお打法…?いやそれも驚きだが…)」

中河「(こいつ…生気が感じられん…。)」

黄瀬は打つ気があるのかないのかわからないような雰囲気を醸し出していた。







???「あちゃー!もう追い込まれちまった!」

???「…ちっとは黙ってみれないのかお前は…」

はぁっとため息を吐きながら大声で叫んでいる男のほうを見た。

???「だってよー!!あいつのこと知ってるやつなんて俺らぐらいしかいないだろ?悠生だって黄瀬のやつが静岡にいるって言って柄にもなく騒いでたじゃねぇかよ。」

???「柄にもなくは余計だ…。」

被っていた野球帽を深く被り肩をすくめた。

その二人の胸元には「SEIKO」と書かれていた。





黄瀬「……………」

カウントツーストライクノーボール。

ここまで黄瀬はまるで手を出す気配がない。

中河「(こいつ…マジで何を考えているのかわからん…。)」

中河はここまであまりにも簡単に追い込めたので逆に不気味さを感じていた。

吉岡「(中河さん…。俺のストレートそう簡単に打てる球じゃないです。ただこいつが打てないだけですよ。)」

吉岡の考えに頷き中河はサインを出す。

中河「(そうだな!よしこの球で決める!)」

中河はそうサインを出してアウトコースに構えた。

黄瀬「(試合前のミーティング…。)」

黄瀬はそのミーティングのことを思い出していた。







榊原「今日の吉岡投手だが…。ストレートの球威がかなりあり正直攻略は困難だ。しかし傾向として勝負球は八割方ストレートだ。このストレートに負けないようなスイングを心がけよう。」







黄瀬「(八割方はストレート…。そしてこれまでのバッターに対しても100%ストレート…)」

吉岡は振りかぶって第三球を放ろうとしていた。

黄瀬「(そして得意なコースは…)」

今長い腕から第三球が投じられた。

黄瀬「(アウトコースのストレート!)」

カキーン!!!

吉岡&中河「!?」

黄瀬「…悪いですね…記憶力だけはいいんですよ。」

打球は綺麗な弧を描きレフトスタンドへと消えていった。