第3章 憧れの人(後編)

−1994年 5月 下旬−
斎藤は佐伯の事を七瀬に話すかずっと考えていたが思い切って名前だけ出して見る事にした。
斎藤「七瀬さん、佐伯真敏って知ってますか?」
七瀬「ああ、斉天の1年生だろう。かなり良い投手って話だが」
斎藤「それだけですか?」
七瀬「他に何かあるのか?」
斎藤「…………そうですか」

スタスタスタ!

そう言って斎藤は去って行く。
七瀬「待て待てっ!?」
斎藤「………………」
七瀬「そんな不機嫌に去るなよ」
斎藤「不機嫌なつもりはないんですけど」
七瀬「まあ、ちょっと待て…………佐伯…………うーん……佐伯ね……………すまん。やっぱり思いだせん」
斎藤「そうですか、佐伯ってストレートも速いらしいですけど凄いシュートを投げるらしいんですよ」
七瀬「シュート!」

この瞬間、七瀬は八坂に言われた言葉を思い出した。
七瀬「―――自分だけが傷ついたか」
斎藤「思い出したんですか!?」
七瀬「いや、佐伯と言う名前は知らない」
斎藤「……そうですか」
七瀬「ただ、今から4年ほど前になるか、リトルで頑張っていた子にシュートボールを教えた事があったんだ」
斎藤「それが佐伯ですか」
七瀬「どうかな。名前は聞かなかったし顔も覚えていないしな」
斎藤「そうですか、もう思い切って話しますね」

斎藤はもう佐伯の事を七瀬に話した。
七瀬「そんな奴がいたのか」
斎藤「あいつは七瀬さんを本気で尊敬していたんです。ケガで肘を壊してからは尊敬する想いが揺らいでしまった」
七瀬「……分かった。話して見るよ(もう一度頑張ってみるか)」
斎藤「すみませんでした!」
七瀬「いきなりどうしたんだ?」
斎藤「七瀬さんのケガの事です。確かに佐伯の想いは俺には分かりますが七瀬さん自身も」
七瀬「ああ、気にするな。ケガの事はもう吹っ切ってるよ―――いや正確には吹っ切った振りをしてたんだろうな」
斎藤「えっ?」
七瀬「医者にもうシュートは投げられないって言われて俺は完全に諦めてたんだ」
斎藤「それは仕方ないかと」
七瀬「そうじゃないんだよ! シュートは投げられくてもピッチャーは出来るんだよ! 俺はシュートが投げられないって事を言い訳にして逃げてた事に気付いたんだよ!」
斎藤「逃げてた?」
七瀬「ああ、俺は中西さんからエースナンバーを譲ってもらって自分で言うのも何だか凄く頑張った。その結果、春の甲子園にも出れたけど気がつけば肘をやっちまった」
斎藤「………………」
七瀬「結局、俺は肘をやってから仕方がないって事で諦めていたんだ」
斎藤「…………肘治るんですか?」
七瀬「治ってはいるさ。ただシュートが投げられなくなっただけでまあ、シュート以外の変化球を見つけるか、最後の手段として左でシュートを覚えるさ」
斎藤「頑張って下さい!」
七瀬「おう!」

こうして七瀬は再び頑張るのだった。
斎藤(佐伯の事は七瀬さんに任せれば良いか)

数日後、七瀬は思い切って佐伯のところに行った。
七瀬「よう!」
佐伯「七瀬さん!?」
七瀬「お前、4年前に泣いてたガキだよな」
佐伯「覚えてたんですか!?」
七瀬「いや、さすがに顔とかは覚えてないな。ただ、そんな事があったとしか」
佐伯「仕方ないですよ。でも俺はあの時から貴方のファンになったんですよ!」
七瀬「そう言われると恥ずかしいな」
佐伯「七瀬さんはシニアから県内でも指折りの変化球投手として有名でしたからすぐに名前が分かりましたよ!」
七瀬「今でもあの時に教えた握りのシュートを投げてるのか?」
佐伯「俺の決め球です!」
七瀬「そうか、ならお前がそのシュートをプロに持っていってくれないか」
佐伯「えっ?」
七瀬「残念ながら俺はもう右ではシュートを投げられん。俺の夢はそのシュートでプロへ行く事だったんだ!」
佐伯「諦めたんですか?」
七瀬「ああ、シュートで行くのは諦めた。今度は新球を持ってプロへ行くさ!」
佐伯「そうですか、俺はやっぱり今でも七瀬さんを尊敬しています!」
七瀬「真顔で言うなよ。無茶苦茶恥ずいだろ」
佐伯「ハハハ、それじゃあ夏の大会で会いましょう」
七瀬「ああ」

こうして佐伯は再び自身のルーツを取り戻した。そして数日後
佐伯「うらっ!」

クククッ!
大下主将「おおっ凄いキレだ!?」

斎藤「あれは?」
七瀬「弟子だ!」
吉田「なんで斉天の野球部員がうちにいるんだ?」
斎藤「弟子って?」
七瀬「弟子は弟子だ! 師匠としてあいつにはこの俺のクリティカルシュートを完全に伝授せねばならん!!」
真田「クリティカルシュート?」
七瀬「会心のシュートって事だ!」

佐伯「師匠、俺のシュートはどうでしたか?」
七瀬「上出来だ! この分じゃ俺を超えるのもそう遠くないな!」
佐伯「やったー! もっと頑張ります!!」

真田「佐伯って変わってるね」
吉田「ああ、と言うかああ言う性格だったんだな」
斎藤「なんかシリアスだったのが一気に飛んだな」
真田「何の話?」
斎藤「今度話すよ」
吉田「何かあったらしいな?」
真田「あれを観てると大した事じゃないように思えるけど」

佐伯「師匠!」
七瀬「見事だ弟子よ。お前は必ずプロになれる!」
佐伯「はい!」

吉田「そうだな」
斎藤「誰だ佐伯はクールな性格だなんて思ったのは?」←汝だ!
斎藤「うわっ!? また謎の声が!?」
吉田「どうした斎藤!?」
斎藤「何でもないです」
真田「……なんだかなあー」

喫茶店MOON
月砂「それでまだ泣いてんの?」
斎藤「だってさ。あれはないだろう」
真田「現実はあんなもんだよ」
斎藤「違う絶対に違う。もっと試合でシリアスな展開になるはずだ」
吉田「俺もそう思う」
月砂「ちっちっち、あまいわね2人共、和君の言う通りああ言うのが現実なのよ!」

和君とは真田の事である。斎藤はずっとあの調子だったので真田と吉田で斎藤を家まで送って来た。それで月砂が食べて行けと言われて現在一緒にお食事中、なんかどうでもよくなって佐伯と七瀬の事を斎藤は話した。
吉田「確かに現実でああなったんだけど何故か納得がいかないと言うか」
斎藤「そうだよ。なんでこう言う終わりなんだよ」
月砂「ハジメもツヨシも現実はどう言う物か分かったでしょう」

斎藤はともかく吉田もツヨシと呼び捨てらしい。
斎藤「こう言う分かり方はしたくなかった」
吉田「しかし月砂さんと斎藤、姉弟のわりに似ていませんね」
月砂「そう。顔とかは結構似てると言われるんだけど」
真田「僕も似てると思うけど」
吉田「確かに顔や雰囲気は似てるけど性格は」
月砂「ほほう。それは私に対する挑戦?」
吉田「滅相もない!?」
月砂「それは残念ね」
吉田(やっぱり性格は違うよな)

斎藤(モグモグ)
吉田「いつの間にか普通に食事してるし」
斎藤「だってさ。あれ見ろよ」

真田「おかわりっ! 頂きます! (ハグッモグッハグ!)」
吉田「おかわりって言いながら勝手に食ってるな」
斎藤「あいつ、いつの間にか俺の皿の料理まで食ってるんだぜ」

月砂「はあ、良く食べるわね」
真田「育ち盛りですから」
斎藤「ちなみにおかわりは何度目でしょうか?」
真田「記念すべき10杯目!」
吉田「限度があるだろうが」
月砂「下手に遠慮されるよか、よっぽど良いわよ」
吉田(心の広い人で)

斎藤「それでお前ら今日は泊まって行くのか?」
真田「僕は泊まって行くつもりだけど」
吉田(遠慮しない奴だな)

月砂「和君ってやっぱり剣君に似てるわね」
真田「ほう。僕並に格好良いと」
斎藤「性格の話だよ」
吉田「つうか誰の事か分からないんだけど?」
月砂「あれ話してないの?」
斎藤「うん。村雨剣は(  むらさめつるぎ  )リトルの頃からずっと一緒に野球やってた親友だよ」
吉田「高校じゃ野球やってないのか?」
斎藤「いや、やってるよ。なんか高校じゃ俺と敵になりたいって言って別の高校に行った」
吉田「えっと訳有りなのか?」
斎藤「別にケンカしたとかじゃなくてだな」
真田「なるほど分かるよその気持ちずっと味方だとつまらないもんね。敵になって戦いたいか僕もいつかやってみるか!」
斎藤「こいつと同じ種類の人間なんだよ」
吉田「よーく分かりました」
月砂「夏の大会になると剣君と戦う事にもなるのか、ところで剣君の行った高校は何て名前なの?」
斎藤「さあ?」
吉田「親友じゃなかったのかよ?」
斎藤「だってあれから連絡はないし」
月砂「こっちから会いに行けば良いじゃないの」
斎藤「姉貴だって知ってるだろ! あいつの家に行くと道場に閉じ込められるんだよ!」
吉田「は?」
真田「面白そうな話だね。教えてよ」
斎藤「やだ!」

真田「月砂お姉さん教えて下さい?」
月砂「剣君の家は昔からある剣術道場なのどう言う訳か剣君のお祖父さんがハジメの才能に惚れて」
斎藤「閉じ込めるんだよ」
月砂「何が何でも村雨流を継がそうとするのよ」
真田「僕に似て格好良い村雨君は剣術はダメなの?」
月砂「剣君も才能があるんだけどハジメの才能の方が圧倒的にあるんだってさ」
真田「そこまで言われたら是非とも剣術を頑張ってもらいたいよね」
斎藤「俺は昔からプロ野球選手を目指してんだ! 剣術で身を立てるつもりはない!」
月砂「まあ、剣術って言ってもそれほど儲かる商売じゃないからね。プロ野球選手になれる確立も凄く低いけど」
吉田「俺も一応プロ入り目指してるけど高卒で入団できる自信はないな。真田はって聞くまでもないか?」
真田「僕は高卒後ホエールズに入るよ」
吉田「さすがは真田、簡単に言ってくれるなちなみに今は横浜ベイスターズな」
真田「及川さんみたいな選手になるんだ」
吉田「あの人は去年の首位打者だぞ。盗塁王も4年連続獲得中だし」
真田「足の速さじゃ誰にも負けません。及川さんも抜いて見せるよ!!」
吉田「とりあえずここまで言い切れるのは凄いな」
月砂「そう言えばハジメは投手だけど和君とツヨシはどこの守備位置なの?」
真田「僕は外野で吉田は捕手です!」
吉田「俺は外野だ!」
斎藤「えっ? 紅白戦じゃあ」
吉田「仕方ねえだろう。キャプテンと俺以外にキャッチャーできる奴がいないんだから」
斎藤「おかしいな。確か新入部員にも捕手がいたと思ってたけど?」
吉田「新入部員はもう大半が辞めたよ。だから俺とキャプテン以外にキャッチャーはいないんだ」
斎藤「知らなかった」
真田「同じく」
吉田「…………まあ、今更だから何も言わないけど」

月砂「やっぱり甲子園ってステータスに憧れて来る子が多いのね」
吉田「そうでしょうね。赤竜高校には入部のテストなんてありませんから誰でも入れますし、俺も甲子園もそうですが相良さんに憧れて来ましたから」
真田「僕は近いから赤竜に決めたよ」
吉田「……はあ、お前らしいよ」

斎藤「ちなみに俺は福井さんの母校だと聞いてたから入ったんだけど」
吉田「へえ、斎藤は福井選手のファンなのか?」
斎藤「ああ、あの人は正にこの俺の目標!」
吉田「へえ、斎藤も目標の選手がいるんだな」
斎藤「つうかアマよりプロ選手を目標にしないか?」
吉田「いやいや、手近な目標でアマチュア選手に憧れるのもあるだろうが」
真田「と言うか相良さんって今からでもプロに通用するって言われてるからある意味プロ選手より目標が高いんじゃないかな」
吉田「果てしなく遠く感じて来た」
斎藤「まあ、今はそうでも1年、2年すれば距離も縮むだろう」
吉田「ああ、頑張るよ」
斎藤(泣きながら言われてもな)

真田「ご馳走様でした。ところで吉田はどうすんの?」
斎藤(記録は15杯か)
吉田「?」
真田「僕は泊まるって自宅に電話したけど」
吉田「俺も今日は泊まるよ。何か疲れた」
月砂「それじゃあ、もう一部屋用意しないと」
真田「それなら問題ないです。今日は斎藤の部屋で3人で寝ますから」
斎藤「まあ、3人で寝れるスペースくらいはあるから良いけど」

こうして仲良し3人組はまた仲良くなり5月も終わる。