「九番セカンド矢吹さん」

朱音はコールされるとはいっ!と元気に声を発して右足と右手を一緒に出しながらバッターボックスへと向かってきた。

明日香「(このバッターは打ち取っとかないとね…。)」

明日香はそう思いながらロージンを手にとった。

矢吹「(う〜…。なんとか光ちゃんに繋がないと…。)」

朱音は震える自分の体を拳で太ももに喝を入れた。

田代「(大丈夫。このバッターはちゃんと投げれば抑えれるよ。)」

明日香は頷きながら田代の顔を見た。

そして田代からサインがでて明日香が第一球を投げた。

明日香&田代「(あっ!?)」

バッテリーが同時にそう思った。

何故なら白球が完全にど真ん中に抜けたからだ。

田代「(やられる!!)」

田代は最低でもヒットを覚悟した。

しかし田代の予想とは反して白球はミットに吸い込まれた。

「ストライッ!」

田代と明日香は唖然としてバッターの朱音を見ていた。

しかし立ったままピクリとも動かない。

田代「…あの…大丈夫?」

さすがに心配になってきた田代はバッターボックスで固まっている小さな女の子に声をかけた。

矢吹「……………」

しかし当の朱音から全く反応がなかった。

審判もちょっとおかしいと思ったのか朱音の肩を揺すり大丈夫かね?と聞いた。

その審判の声にようやく朱音は反応して審判や投手の明日香を見た。

矢吹「あ…あれ?もう一球目投げたんですか?緊張しすぎて、気絶してたみたいです…。」

朱音が慌てふためきながらそう言うと京徳ベンチも夕陽ヶ丘ベンチも全員ずっこけていた。

倉持「ア、アカちゃん…。」

海藤「さすが矢吹…。どこでこの天然ボケが発揮されるか心配だったがまさかここでくるとは…。」

二宮「…恥ずかしい…。」

三者三様の反応を示した京徳ベンチだったが当の朱音はまだ慌てふためいていた。

そんな朱音を見越したのか京徳ベンチからタイム!と大きな声がかかった。

その声の正体は京徳商業をここまで引っ張ってきた監督だった。

監督「大丈夫か?朱音。」

監督が苦笑い気味に朱音に声をかけた。

矢吹「は、はい…!大丈夫でひゅ…。」

その言葉とは裏腹に顔は青くなっているし体は小刻みに震えていた。

監督はそんな朱音を見て一息ため息をつき朱音の肩をつかみ目をちゃんと見てあることを告げた。

朱音は監督の一言を聞くとぎこちなく頷きバッターボックスへ帰ってきた。

矢吹「(自分らしくいけ…って言われても…どうしたらいいんだろ〜…。)」

矢吹はまたさらに固まったんじゃないかと思うぐらいカチコチに固まっていた。

ダメだこりゃ…。

京徳ベンチの全員がそう思ったことは言わなくてもわかるだろう…。

田代「(なんだかんだで一応ワンストライクはとれたんだ。後はボールを散らせばなんとかなる。)」

ここまで明日香が抑えてきた要因はこれが大きかった。

ボールを適当に散らすと逆にバッターは狙い球を絞りづらくなるのだ。

しかも明日香の球の勢いならなかなか捕らえることができないのだ。

明日香は田代の考えに同調しインコースにボール球、アウトハイにストライク、インローにボール球とボールを散らしていった。

田代「(よし…。ここでアウトローにストレートだ。)」

田代はそう考えミットをアウトコースの低めに構えた。

明日香はサインに頷き足を振り上げた。

矢吹「(どうしよどうしよ…。私らしく…。私の得意な…得意なもの…?)」

朱音はある考えが頭に浮かんだ。

しかし投手はもう投げはじめている。

私は左投手もチャンスでも弱い…。それだけでなく打撃は元々できなかった。

だからすごく練習したことが一つだけあった。

一か八かやってみるしかない!朱音はそう思いバットの中間ぐらいに手を据えた。

キン!

明日香&田代「(セーフティーバント!?)」

完全に裏をかかれたバッテリーは三塁線を見事に転がっているボールを必死に追いかけた。

ようやく明日香が追いついた時にはもう一塁ベースに到達していた……普通の足なら…。

明日香「へっ?」

明日香はボールを捕ったときは諦めたが一塁を見てみるとまだ矢吹は一塁ベースに到達していなかった。

矢吹「はぁ…はぁ…はぁ…!」

朱音は必死に走っているが足がうまくサイクルしていなかった。

明日香はいけると思い左腕を思い切って一塁目掛けて振り下ろした。

レーザービームのようなボールが一塁に向かって超スピードで向かっていきアウトになった……一塁にちゃんと投げていれば。

実況「黒木悪送球〜!!矢吹は労せず二塁へ!!痛恨のエラーで追加点のランナーが二塁へノーアウト二塁!!」

内野手全員がマウンドを囲っていた。

黒木「ごめんなさい…。私のせいで…。」

明日香が申し訳なさそうに俯いているが誰も責める人はいなかった。

黄瀬「いちいち気にしてたら見がもたねぇよ…。次のバッターをきっちり抑えたらいいだけだ…。」

次のバッター…。

黄瀬がそう言った後全員の目はネクストバッターズサークルの小さな青髪の少女を捉えていた。

明日香「…抑えるどころかボコボコにされてるんだけど…。」

明日香が弱気になるのも無理はなかった。

ここまでの対倉持はいずれも倉持の完勝であった。

明日香だけでなく田代まで弱気な表情を見せているので黄瀬は軽い口調で明日香に呟いた。

黄瀬「俺が教えた球があるだろ…?それにかけてみるしかないんじゃないの…?」

明日香はその何気ない黄瀬の一言に目を輝かした。

明日香「そうよそうよ!その手があったわ!」

明日香がそう叫ぶとチームの皆まで表情が明るくなり自信に満ちあふれた表情に変わる。

田代「そうだ!もしあの球が投げられたら倉持さんといえども捕らえられないよ!」

その声に同調して内野手全員(黄瀬を除く)のテンションが上がった。

黄瀬「(ってか投げようとしてたんじゃないのかあのチェンジアップは…。馬鹿ばっかりだ…。)」

黄瀬はげんなりとなり大きくため息をついた。

テンションが上がりきったところで各自ポジションに散っていった。

明日香「(よ〜し!絶対に投げるんだから…!)」

明日香は自分に気合いを入れて左バッターボックスにいるいわば天敵に目を合わせた。

倉持「私の攻略法でも考えてたの?でも無駄だよ?私に打てない球なんてないから!」

倉持は一打席目と同じように笑みを浮かべて田代に話しかけた。

しかし今度は田代もニヤリと笑った。

田代「それはどうかな…?」

そう田代は言うとマスクを被って明日香の方を見た。

倉持もふ〜ん…。と言い明日香の方に構えなおした。

倉持は構えるときに右袖を軽くさわってその右腕をバットを持って投手の明日香の方に向けている。

今や世界のレベルまでに達している天才イチロー(愛甲大名電→オリックス→シアトルマリナーズ)の打撃フォームである。

倉持「さぁこ〜い!!」

倉持はそう元気よく叫ぶと明日香の球を待つ体制になった。

明日香「(よ〜し!いけ〜〜!!)」

明日香はそんな考えのもとで左腕を力いっぱい振り下ろした。

白球はゆっくりと上にあがっていく。

倉持「(な〜んだ…。ただのチェンジアップじゃない。)」

倉持はバットをおもいっきり振り抜いた。

カキーン!!!

会心の打球はぐんぐんライトポールに向かって伸びていく。

しかし寸前で右側に切れていった。

「ファールボール!!」

倉持「ちぇ…!もうちょっと待ってたら完全にホームランだったのにな〜…。」

明日香と田代は冷や汗をかいたがファールだったので助かったという表情をしてお互い頷きあった。

明日香は第二球目も天高くあがるチェンジアップを投げてしまいこれも真芯で捕らえられ今度はレフトポール際を切れていった。

倉持は今度は待ちすぎた〜!!と言って悔しがっている。

今度あのチェンジアップを投げたら確実にホームランにされるだろう…。

田代「(明日香ちゃん…。)」

田代はストレートのサインを出したかったが明日香の目は一回戦ラストの中河の時に見せた"あの"目であった。

明日香「……………」

明日香は少しも目を逸らさず田代に訴えかけてきていた。

田代「……………」

田代は考えた末サインを出す。

明日香はそれをじっくり見てゆっくりと頷いた。








明日香が試合の前夜ずっと投げ込みをしているとき黄瀬は後ろから見ていた。

黄瀬「へぇ…やっぱり努力家はやることが違うね〜…。」

明日香「…いるんならいるって言ってよね…。」

明日香は少し頬を膨らまして後ろにいる黄瀬のほうを振り向いた。

黄瀬「いや〜こういう美女の後ろ姿ってのもいいな〜と思ってさ。」

明日香「…褒めたって何も出ないよ…。」

明日香は少し顔を紅潮させてまた投げ込みを始めた。

最近わかってきたが明日香はこういう褒め殺しに滅法弱い。

怒らせないにはこの戦法に限るのだ。

黄瀬はしばらく明日香の投げ込んでる姿を眺めていた。

ボールは全てふわっと浮いてネットに突き刺さっていた。

黄瀬「俺が教えてあげた球投げようとしてるんだ?」

今まで黙っていた黄瀬は口を開くと明日香にそう聞いた。

明日香「…そうだけど…。」

黄瀬「なかなか変化しないんだ?」

黄瀬の言葉に明日香はコクっと弱々しく頷いた。

黄瀬はう〜ん…と唸ってそして明日香のほうをじっと見た。

黄瀬「う〜ん…。」

明日香「な、なに…?」

明日香はまた少し顔を赤らめながら黄瀬を見ていた。

黄瀬「お前…意外と頭大きいな…。」

明日香「…マジで殴っていい…?」

明日香の血管が浮き出てきていることに気づき黄瀬は苦笑いを浮かべながら真剣な話をしだした。

黄瀬「…これは真剣な話なんだけど…黒木にこの球の名前教えたっけ?」

明日香「…教えてもらってないけど…。」

明日香は黄瀬がいきなり話を変え逃げたと思ったのか不服そうな顔をしていた。

黄瀬「あの球は"朱雀"って言うんだ…。」

明日香「…朱雀…?」

明日香が小首を傾げながらそう聞いた。

黄瀬「この球本当は俺の憧れの人の球なんだ…。その人がいなかったら今俺が野球をやってることはなかったかもしれない…。」

黄瀬がしみじみとそう言うと明日香は少ししゅん…としてしまった。

しかし黄瀬はそんなことは気にもとめず淡々と話し始めた。

黄瀬「その人が言うには朱雀の気持ちになればいいんだと…。その朱雀になった気分でおもいっきり腕を振れば自ずと結果はでるって話だ。」

明日香「朱雀になった気持ち…。」

黄瀬「まぁ…参考にして。」

黄瀬はそう言うとこの場を去っていった。

明日香はその晩夜な夜なずっとこのことを考えていた。









明日香は投げる前に前日の出来事を思い出していた。

明日香「(朱雀の気持ちに…なる…。)」

明日香はそう決意すると大きく足をあげた。

明日香「(私は…朱雀…!!)」

明日香の左腕から繰り出されたものすごい直球は猛スピードで真ん中へと突き進んでいた。

倉持「(結局我慢しきれないで真ん中か…。黒木明日香敗れたり!!)」

倉持はボールを捕らえにいく。

しかしその瞬間ボールが急激に落下した。

そのスピードはまるで生きているかのようなものだった。

倉持「(何…これ…。)」

倉持は空を斬ったあとミットを信じられないといった表情で見つめていた。

実況「三振ーー!!!天才倉持三球三振!!黒木の鋭い変化球にバットが空を斬りました!!」

黄瀬はガッツポーズをしている明日香を見て小さく呟いた。

黄瀬「…三匹目の朱雀が誕生したな…。」

今朱雀が生まれた。試合はまだまだわからない。