四番…。
野球を知っている方は恐らくこの言葉の重みを理解しているだろう…。
四番…それはチームの中心。
四番…それはチームの切り札。
四番…それは相手エースを当たり前のように打ち砕く。
野球をあまり知らない方でもエースというのはご存知であろう。
その言葉通りエースというのはチームの大黒柱である。
通常の家は大黒柱は一本できっちり家は建つ。
しかしチームという家はこのエースという柱だけでは上手く建てることができない。
四番というもう一つの大黒柱がなければ…。
夕陽ヶ丘高校の四番は二年生。
去年は大いに騒がれた時期があった。
夏の予選大会一回戦。
創部したての新進チームにこの男がいたからである。
羽柴蒼甫。彼は中学時代から非常に有名であった。
その往年の故近藤和彦(太洋)さんを彷彿とさせるその天秤打法は見るものを惹きつけた。
もちろんその打法だけではなかった。
その天才的なバットコントロール、中学生離れしている守備力、三遊間の深いところから矢のような送球で打者を刺すその強肩…。
どの要素でも彼に勝るものはいなかった。
たった一人を除いて…。
その男の名は矢月悠生。今や名門星光学園のエースにまで登りつめ全国区のピッチャーになっている選手だ。
羽柴と矢月の初対戦は全国シニア大会準々決勝。
羽柴たちのチームは大会前の下馬評通り全試合コールドで相手チームを圧倒していた。
そして今日の準々決勝。
相手は愛知代表聖鈴バスターズ。
完全な無名チームであり俺たちの敵ではなかった…はずだった。
しかし俺たちは負けた…圧倒的な力を見せつけられて…。
相手のマウンドに立っていたのは矢月悠生だった…。俺はこの試合で人生初の全打席三球三振を喫した。
この試合俺のプライドと自信は音をたてて崩れていった。
聖鈴は投手もさることながら打線も非常に強力なものだった。
ほとんどのバッターが印象に残る打法で打っていた。
自分も大概変な打ち方だと思っていたがこのチームは皆変な打法で打っていた。
その中で代打で出てきた下級生がいた。
そいつの名前はわからないが非常に長いバットを持って構えて見事なレフト線ツーベースを放っていた。
自慢じゃないが記憶力はいい方だ。
あの試合で出てきたほぼ全ての打者を俺は記憶していた。
そして俺がどこに進学するか選んでいるときに矢月が静岡の名門、星光学園に進学することがわかった。
あの俺たちとの試合でスカウトの目に留まったそうだ。
俺にも星光学園から推薦がきていた。
しかし俺はどうしても矢月と対戦してそして勝ちたかった。
そのためには静岡の他の学校に行かなければならなかった。
別に他の県の高校でもいいのだが甲子園に行けるなんてのは絶対のことではない。
それに全国に行けたとしても抽選なので当たるかもわからない。
なら同じ県内に行ったほうが当たる可能性は非常に高いのだ。
俺は他の静岡の高校の推薦がきてた高校を見学しに周っていた。
しかしなかなかいいところがなかった。
陵芭学園や海宝高校でもよかったのだがあまりあの環境で野球をやろうとは思わなかったのだ。
野球を皆楽しんでやってないように見えたから…。
自分は今まで野球が好きだから続けてきた。
これらの高校に入って野球が嫌いになるかもしれない自分が怖かった…。
羽柴「はぁ…どうしたらいいんだよ〜…。」
羽柴はため息をついて公園のベンチに座った。
これだけ探し回ったのにいい高校がなかなかない…と羽柴は呟きまたため息をついた。
こうなりゃもう他の県の高校に行くしか…とそう思っていたとき甲高い金属音が聞こえてきた。
この音はもう聞き飽きたほど聞いていた。
その音が聞こえてくるところへ足を進めていく。
そこには決して上手いとは言えない選手たちが必死に白球を追っている光景が広がっていた。
しかしその追いかけてる人たちは爽やかな笑顔を浮かべて楽しそうに白球を追っていた。
こんなに楽しそうに白球を追いかける奴らは久しぶりに見た。
羽柴はいてもたってもいられなくなりこの集団に俺も混ぜてくれ〜!!と叫びながら走っていった。
ノックを受けているとノッカーが話しかけてきた。
???「君めちゃくちゃ上手いな〜!!野球やってるの?」
羽柴「まぁ一応!」
羽柴は笑顔でそう返事した。
???「へぇ…君みたいな人は推薦で名門に進むんだろうね…。」
羽柴はそんなことないよ!と慌てて否定したがあながち間違ってはいなかった。
???「僕らは野球部のないところに行くつもりなんだ!」
羽柴は一瞬何を言ってるのか理解が出来なかった。
しかしその意味を理解すると誰もが疑問を抱く質問をした。
羽柴「…なんで?」
羽柴のもっともな疑問に待ってましたとばかりにノッカーは大きな声で答えた。
???「俺たちは俺たちの野球を一から始めたいんだ!そりゃなかなか試合には勝てないだろうけど…俺たちは楽しい野球をやりたいから…。」
これだ…これが俺が求めていた野球だ。
俺は矢月ともう一度対戦したい。
それは恨みとか悔しいとかではない。
すごいピッチャーとの対戦を楽しみたいのだ。そして結果勝てば飛び上がるほど嬉しいし負けてももう一度頑張ろうと思ったりする。
だからはチームの強さは関係なかった。
俺は夕陽ヶ丘高校に入学する。
そしてキャプテンの榊原と一緒に教師に野球部設立を養成しにいった。
そして夕陽ヶ丘高校野球部は歴史的な一歩を踏み出したのだ。
榊原はいわば俺の恩人でもある。あいつがいなかったら俺は今頃他の高校で機械みたいな野球しか出来なかっただろう。
だから俺は恩返ししたい。
俺を救ってくれた榊原にこの野球部に…。
俺達が2年生になり新入部員が入った。
俺は前年の大会は勝負してもらえなかった。
俺を歩かせれば点が入らないからだ。
俺は榊原にそして野球部に恩返しが出来なかった。
今年こそ恩返ししたい…。そのためには強打者が欲しかった。
新入部員が入ってきて数日後、マネージャーの瑞希ちゃんがある男を連れてきた。
その男のことをどこかで見たことはあるのだがどうしても思い出せないでいた俺を尻目に打撃練習を始めた。
仮入部だろうか無理やりやらせてるのだろうか全くわからなかったが制服でバッターボックスに立つとその構えで俺ははっきりと思い出した。
羽柴「(あの時の…代打で出てきたやつだ…。)」
その男は中学時代にあの矢月がいたチームにいた長いバットを使う選手だった。
今は榊原のバットを使っているがあの独特の構え方は今でも忘れない。
何故この学校にきたか…何故こいつも静岡にきたか…そんなのは羽柴にはどうでもよかった。
あれほどのバッティングをする後輩が入ってきたのだ。
今年は確実に勝負してくれる…。
羽柴は満足そうにニコッと笑うと心の中で誓った。
今年こそ榊原にこのチームに恩返しをすると…。
試合は未だ1-0。京徳商業のリードは変わらないが確実に流れは変わりつつあった。
その要因は生まれたての朱雀であった。
「ストライッ!!バッターアウッ!!」
明日香「よっし!!!」
利き腕の左腕を勢いよく振り上げて目立つガッツポーズをした。
あの倉持の三振から実に九者連続三振。
新変化球朱雀が冴え渡っていた。
明日香が八回表のマウンドを降りていき今度は二宮が八回裏のマウンドに上がっていく。
ここで夕陽ヶ丘高校は円陣を組んだ。
榊原「いいか…?流れは確実にこっちに来ている…。この回で何とかしたい…。」
黄瀬「…まずはヒット打たないと話になんないっすよ…。」
黄瀬の空気を読まない発言に明日香から鉄拳が飛んできた。
気絶している黄瀬を完全にスルーし全員で榊原の声に注目していた。
しかし黄瀬の言うとおり夕陽ヶ丘高校は二宮の前に未だノーヒットに抑えられている。
エラーの二人、デッドボールがなんと四つ、四球が一つ、振り逃げ一つとランナーはかなり出ていた。
しかしデッドボールは完全に嫌なバッターに当てて(武沢、羽柴、榊原、黄瀬)踏み込まれないようにしていた。
榊原「…俺は今まで野球を楽しめれば…このメンバーで野球が長く出来たらいいと思っていた…。」
榊原がそう言うと夕陽ヶ丘ベンチはシーンと静まり返る。
榊原「…だが今は違う…。ここまで来たら勝ちたい…甲子園に行こう…!!」
榊原がそう言うと夕陽ヶ丘の選手の目が変わり大声で叫んだ。
『オォォォォ!!!』
「八回裏、夕陽ヶ丘高校の攻撃は三番センター武沢君」
武沢「よっしゃー!!」
武沢がバッターボックスに向かおうとすると監督が武沢を呼び止めた。
佐沼「武沢!こっちこい!」
武沢は言われた通り佐沼の側に行くと佐沼は耳打ちをしてきた。
佐沼「(いいか…ここまで左を並べてきて一つわかったことがあった…。)」
武沢「(マジっすか!?一体何なんすか?)」
佐沼「(それは…この投手は右も左もまるで関係ないということじゃ…。)」
武沢は場所も関係なく盛大にずっこけた。
武沢「(それじゃあ意味ないじゃないですか!?)」
武沢が佐沼に文句を言っているときにさすがに長すぎたのか審判から早くするようにと促された。
武沢はそう言われてバッターボックスに向かおうとしたが佐沼にもう一言だけと言われ立ち止まった。
佐沼「(二宮は左が立ったときは九割方アウトコースに放っとる。)」
武沢「(でも俺当てられましたよ?)」
佐沼「(アホ!!それはアウトコースを打つために踏み込ませないようにしたんじゃ!)」
佐沼の言ったことをなるほどと理解した武沢はわかりました!と言い意気揚々と左バッターボックスに向かった。
武沢「(アウトコース…アウトコース…アウトコース…。)」
武沢は呪文みたいに小さく呟きながら打席に入った。
海藤「(また左かよ…。並べてくれたほうがこっちにとっちゃやりやすいんだよ…!ここも軽く捻ってやろうぜ!)」
二宮「(あぁ…だが…。)」
二宮はロージンを手にとり念入りに滑り止めをつけた。
二宮「(何か今回は違う気がする…。)」
二宮は鋭い目になっている武沢を改めて警戒した。
武沢「(初球から狙っていくしかない…。アウトコースのストレート…。)」
二宮が第一球を投げた。
そのボールはインコースへと向かっていた。
武沢&海藤「げっ!?」
ドゴッ!!
白球は鈍い音を残して一塁ベンチまで転がっていった。
「デッドボール!!」
二宮「(…しまった…。アウトコースにヤマを張っていたのか…。)」
そう。武沢はアウトコースを打つべくおもいっきり踏み込んだ。
しかしボールは内角に入ってきた。
武沢「(く〜…。監督に騙されたぜ…。)」
武沢は痛みを堪えながら一塁へと歩いていった。
しかし監督が騙したわけではなかった。
二宮「(…目が変わったから力を入れすぎた…。)」
二宮は警戒しすぎて肩に力が入ったのだ。
その証拠に海藤のミットはアウトコースに構えられていた。
二宮「(まずい…。一番出しちゃならないランナーを出しちまった…。)」
二宮はそう思いながら冷や汗を少しかいてネクストバッターズサークルにいる四番のことを見た。
「四番ショート羽柴君」
羽柴「……………」
羽柴はいつもの少々うるさいテンションにならず目が完全に二宮を射抜いていた。
榊原「羽柴!」
榊原が羽柴に声をかけると羽柴は見たことのないような目で榊原の方を見た。
榊原「…甲子園に行こう…。」
榊原の一言に羽柴は笑ってあぁ…。と答えて小さく呟いた。
羽柴「これが四番の仕事だからな…。」
羽柴はゆっくりと左バッターボックスに立つと二宮に鋭い目線を送った。
二宮「(すごい眼光だ…。)」
二宮はさらに冷や汗が流れ出してタイムを告げた。
海藤「…どうする…?」
海藤は二宮に確認するようにそう言った。
二宮「…このために温存してたんだろう…?」
二宮はそう笑いながら海藤に言った。
海藤もだな!と笑いキャッチャーボックスに入っていった。
羽柴は二宮がタイムをかけたとき監督に呼ばれた。
佐沼「羽柴…。お前に言うことはただ一つじゃ…。打て。来た球に反応すればお前なら打てるはずじゃ。」
羽柴ははい…。と言ってバッターボックスに戻ってきた。
羽柴「(勝つ…!勝って恩返しをするニ年越しの恩返しを…!)」
羽柴は今までの野球人生でここまで緊張したことは一度もなかった。
しかしこの気持ちの高ぶり方も経験したことがなかった。
チームのために四番として打席に立つというのはこれほどまでにプレッシャーがかかりそしてこれほどまでに高揚感を与えるものなのだろうか…?
羽柴はニ、三度深呼吸をしてから打席に入った。
二宮が早くもサインに頷く。
そして早いクイックで第一球を投げた。
バシィ!!!
「ストライッ!!」
アウトコースのストレートを羽柴は見逃した…いや手がでなかった。
羽柴「…タイムお願いします。」
羽柴はタイムをとりもう一度打席を外した。
自分の手を見ると誰が見ても明らかなほど震えていた。
羽柴にとってはこんなことは初めての経験だった。
今までは楽しかった好投手との勝負もこの状況下ではプレッシャーへと変わる。
それが四番の宿命である…。
羽柴は来た球を打つ…来た球を打つ…と呟きながら打席に入った。
二宮は羽柴が打席に入るとすぐに第二球を投げるモーションに入った。
二球目は真ん中にスーッと吸い込まれるように入ってきた。
羽柴はしめた!とばかりにフルスイングをしたがボールは外に大きく逃げていった。
「ストライッツー!!」
とうとう追い込まれた。
しかも簡単にだ。
羽柴はもう一度冷静に考えてみた。
ここまでの二宮の球種は二種類…。
ストレートとシュートの二つだけである。
羽柴「(よし!決めた。俺はストレートに絞る…!)」
狙い球を定めた羽柴は独特の天秤打法で構える。
そして二宮の三球目。
二宮は追い込めばこちらの勝ちだと思っていた。
そして思惑通り追い込んだ。
後はこの球で打ち取るだけだ。
二宮「(俺が左バッター用に作ったこの球一球では絶対に打てない…!!)」
二宮は第三球をまるでムチのように腕をしならせ投じた。
ボールは真ん中やや内に進んできていた。
羽柴の狙い球が来たのだ。
羽柴は勝ちを確信してバットを出した。
しかしボールは考えてもいない方向に変化した。
羽柴「(スライダー!?)」
そう。二宮はここにきて新しい変化球を投じたのだ。
まさにこのシチュエーションのためだけにとっておいたのだ。
羽柴の打撃フォームは完全に崩された。
羽柴「(くっ…!!万事休すか…。)」
その時去年から一緒にやってきていた野球部員の顔、後輩、マネージャー、監督、応援団…そして榊原。
その全ての顔が頭の中を走馬灯のように駆けめぐった。
そして自分の体はまるで誰かが勝手に動かしているみたいに自然に動いた。
カキーン!!!
羽柴「…俺…ちょっとは恩返し…できたよな…?」
実況「飛び込んだーーー!!!!起死回生の一発はライトスタンドに吸い込まれましたーーー!!!羽柴の逆転ツーランホームラン!!八回裏ついに夕陽ヶ丘高校試合をひっくり返しました!!」
二宮はいまだに呆然とライトスタンドを見つめていた。
二宮「(あのスライダーを初見でホームラン…。まだまだ俺も甘いのか…。)」
二宮はがっくりとうなだれ頭の中にある人物を思い出した。
二宮「(…由香里さん…。ごめん…約束守れねぇかもしれない…。)」
二宮がうなだれながらそんなことを思っていると外野から大きな声がかかった。
倉持「まだ…まだ試合は終わってない!!絶対に負けられないんだから!!」
倉持の声はもう涙が混じっていた。
二宮はその声を聞きそうだ…まだ負けてないと開き直り続く5、6、7番を三振に斬ってとり後続を抑えた。
そして試合は九回に入っていく。
これがドラマの始まりだとは誰も知らない。
クライマックスは着々と音をたてて近づいてきていた。