ワァァァという大きな歓声が自分の周りを囲んでいる感覚。

この感覚を感じた時、俺は今マウンドにいるんだと実感する。

この球場全体を見渡せるような錯覚に陥る小さな丘の上に。

木暮「なぁ。あいつの、黄瀬の投手としての能力はどうなんだよ?」

矢月「……………」

木暮「?おい。悠生?」

矢月「…えっ?あぁまぁ投手としては平凡な投手さ。」

木暮は矢月の質問の答えに成る程とゆっくりと頷いて、また視線をマウンドへと戻した。

そして、球場にいる全員がマウンドへと意識を向けている時、矢月は小さな声で呟いた。

矢月「(そっちの手ならな…。)」

黄瀬「ワンナウト、ワンナウト。」

黄瀬が人差し指を立ててグラウンドの選手達に声をかける。

この行為も懐かしい。

黄瀬「(何年ぶりぐらいになるんだ…?)」

そう考えながらもテンポよくどんどんボールを投げこんでいく。

バシィ!!

『ストライーッ!!』

榊原「ナイスボールだっ!!いいぞ黄瀬!!」

羽柴「やっぱ天才は何でもできるってか?」

今まで黄瀬の投球を心配していた輩まで黄瀬の投球は大丈夫だと認識し、元気を取り戻した。

『いけー!!黄瀬ー!!』

『俺はお前ならやると思ってたぜ!!!』

色んな声援が黄瀬にかかる中、この男達は嫌な汗が背中に流れていた。

武沢「(俺はお前の投球を心配してるんじゃねぇ…。お前がもしこの投球で通用しなかった時の行動が心配なんだよ…!!)」

瑞希「(神様仏様…!!お願いだから無事にこの試合が終わってください…!!)」

そして、またこの男は違う心配をしていた。

田代「(…いつまで通用するだろうか…。)」

田代はマウンドから次々と投げこんでくる黄瀬の姿を見ながらそんな事を思っていた。

田代「(あんな事言われたら心配になるよ…。)」

田代はそう考えながら投球開始前の黄瀬の言葉を思い出していた。








黄瀬「田代、ちょっと…。」

田代「??」

投球練習を終え、いざプレイというところで田代をマウンドへ呼んだ。

黄瀬「(田代…。俺、変化球が投げれん。)」

田代「えっ…えぇぇぇぇぇ!!!!!?」

田代はここがマウンド上ということを完全に忘れて絶叫した。

黄瀬「(馬鹿!!声がデカいんだよ!)」

田代「(だ、だって変化球もないのに星光打線をどうやって抑えるのさ!!)」

黄瀬「知らん。」








田代「(頭痛いよ…ホントに…。)」

そう思っている間にも8球で七回の攻撃を抑えた。

田代「(だけどボールの力はそこそこある。何とか星光が気づかなければ…。)」

田代はマウンドを颯爽と降りていく黄瀬の後ろ姿を見ながらそう思った。

倉持「…なんか凄い試合になってきたね…。」

海藤「あぁ…こっちが緊張してきたぜ…。」

朱音「…そうですね…。」

ようやく現実に帰ってきた朱音を加えた京徳三人衆が試合に熱中している時、徳川はすでに隣にはいなかった…。

徳川「…そう…あいつがさ…うん…まぁ予想はできたことだが…あんたからも警告しといたん…あぁ!?なんでしとかねぇんだよ!あいつの性格わかってんのかよ…。」

徳川は球場の通路で携帯電話を片手にデータ帳を広げていた。

徳川「…とにかく…あいつは放るぜ…。あぁ…あぁ…わかった。じゃな。」

ピッという電子音と共に携帯をポケットにしまった。

そして、上を向いて大きく溜め息をついた。

徳川「あいつって…やっぱ馬鹿なんだろうな〜。」

たかが野球であんなに必死になっちゃって…。生活できなくなっても知らねぇぞ…。

徳川はまた一つ溜め息をついてグラウンドへと歩を進めていった。

ワァァァ!!!!

徳川「…!!」

球場の大歓声が通路に響き渡ってきて徳川は急いで走り出した。

徳川「こ、これは…!」

グラウンドへ再び帰ってきた徳川の目に映ったのは…








黄瀬「…ちっ…。」

塁上にはランナーが二人。

この八回もツーアウトをとったものの九番矢月からは全く通用しなくなってしまった。

黄瀬「(…やっぱ一回りすら通用しねぇか…。)」

そう思いながら舌打ちをしてロージンバックを地面へと叩きつけた。

矢月「(…黄瀬。悪いがお前が真っ直ぐしか放れないのはわかってる…。)」

矢月はそう二塁上で呟き、小さく本当はもっとちゃんとしたお前達と戦いたかったんだけどな…と言った。

田代「(くっ…!限界か…!)」

『二番金井君に代わりまして、福石君。』

福石「ヨッシャーーー!!!!」

黄瀬&田代「!?」

代打で告げられたその男はバットを五本持ってブンブンと振り回してからバッターボックスに入ってきた。

福石「ハッハッハッ!!!お前が黄瀬か!!!お前の話は矢月から聞いているぞーーー!!まぁ打者としてのお前だがな!アッハッハッハッ!!!」

黄瀬「(…今回の大会でこんなやつ多すぎないか?)」

木暮&海藤「えっ?」

似たような二人が反応しているのはスルーし、福石は体を大きく逸らしてから構えた。

そのフォームはオリックスのカブレラ選手の打撃フォームのようだ。

黄瀬「(…大きく見える…。)」

こういったガタイのいい選手との対戦は今日初めてだったが何て言えばいいんだろうか…。

とにかく実際より大きく見えるのだ。

黄瀬「…!」

そこで初めて俺は足が震えていることに気がついた。

黄瀬「(…くそ…。ビビってんのか…。)」

黄瀬は拳を握りしめキッと福石を睨みつけた。

福石「…………」

黄瀬「うっ…!」

しかし、逆に睨み返されてしまう。

黄瀬は完全に飲み込まれていた。

黄瀬「くそっ…!!」

黄瀬はおもいっきり振りかぶってボールを投げこむ。

しかし、福石は真ん中に入ってきたにも関わらずバットをピクリとも動かさずこちらをジッと見つめていた。

まるで、もっと真剣に投げてこいとでも言いたいかの如く…。

田代「(黄瀬君…!!このバッターに飲まれては駄目だ…!!)」

田代はそう思いつつも嫌な汗がダラダラと止まらず打者を後ろから見つめていた。

田代「(…なんて威圧感だ…。後ろで見ているだけなのに殺気すら感じる…。)」

福石はその間にも一切微動だにせずただ黄瀬一点を見つめていた。

田代「(この人が何故、スタメンで出ていないんだと思っていたけど…僕らが舐められていただけだったのか…。)」

普段は五番を打っている強打者が代打で出てくるのがこれほど怖いものなのかと驚愕しつつ恐る恐る田代はサインを出した。

黄瀬はそれに頷き、ボールを投じた。

しかし、そのボールはバッテリーが意図したボールよりも遥かに甘く入った。

黄瀬「(しまっ…!!)」

田代「(やられる…!!)」

しかし、このボールの行方も二人の意図したところに行かなかった。

バシィ!!

『ストライーッ!ツーッ!!』

福石はこのボールも微動だにせず見送った。

田代は助かったと胸を撫で下ろしたが、黄瀬は更に青ざめた顔になり汗がグラウンドに落ちはじめた。

黄瀬「…はぁ…はぁ…。」

どうしても嫌な想像が頭の中に出てくる。

黄瀬「(…大丈夫さ…。打たれない…。絶対に打たれない…!)」

しかし、その思いに反して汗が滴り落ちていく。

黄瀬「(大丈夫…)」

打たれる…

大丈夫…

打たれる…








その瞬間、俺は気づかないうちにグローブを左から右に移動させていた。

田代「えっ…?」

矢月「!?」

武沢「り、遼!!」

瑞希「…バカ。」

球場がざわついている。

そりゃそうか…。急にグローブのはめる腕変えたんだからな…。

福石「なんだ〜?」

『てめぇ!!舐めてんのか!!』

『福さん!!そんなやつ叩きのめしてやってください!!』

星光ベンチが騒然としている。

しかし、俺はそんな野次すら耳に入ってこないぐらい自分の世界へと入り込んでいた。

何も聞こえない無の世界に…。

田代「き、黄瀬く…」

田代がタイムをかけようとした時、黄瀬はゆっくりと振りかぶった。

田代は急いで構えなおして覚悟を決めた。

田代「(もう僕は知らないぞ…!!)」

そして、ゆっくりと時間が流れるように左腕がしなった。

そのフォームは先程と比べものにならないほどの美しさであった。

そして、何より…

バシィィィィィン!!!!!!

田代「…はっ?」

福石「………」

福石は微動だにしなかった。

しかし、今度は余裕の見送りではない。

全く手が出なかったのだ…。

一瞬の静寂の後、蜂の巣をつついたような騒ぎが球場全体から木霊してきた。

徳川「…ほ〜らな…。馬鹿なんだよあいつは…。」

電光掲示板にははっきりと157の数字が点灯していた。