黄瀬が野球部に入部してから一週間が経ったある日の三時間目。一人の少女が悩みに悩んでいた。
???「う〜…。なんでもっとこの学校のこと調べなかったのよ〜…私の馬鹿〜…」
この私立夕陽ヶ丘高校には庭園というものがある。
ここには花が敷地全体に植えてある。
その花の名はスズラン。噂によれば理事長の初恋の人が好きだった花だったので敷地一面をその花だらけにしたらしい。
今日みたいな太陽が燦々と降り注いでいるときはスズランが光ってまるで生きているんではないかというぐらい輝く。
そんな花畑の中に小さな女の子が頭を抱えて設置してあるベンチに座っている。
???「はぁ〜…。私って何でこんなにドジなんだろう…。」
うつむき加減に大きくため息をついて足をぴったりと合わせて膝小僧に顎を乗せる。俗に言う体育座りだ。
この体制から一度顔を上げて大量のスズランを見た後もう一度溜め息をついた。
???「…まさかこの学校に陸上部がないなんて…。普通陸上部ぐらいあるでしょうが…。」
その少女は相当落ち込んでいるのか足を崩してベンチの上に横になった。
???「どうしよう…。この学校必ずどこかの部活に入らなきゃならないんだよね…。」
そう。この夕陽ヶ丘高校には他にも他の学校とは違うところがある。
それが必ず部活に入ることだ。
この制度は庭園と同じく現在の理事長が考えたもので理事長曰わく「部活も立派な学習の時間です。その時間を家で無駄にしてはいけません。」らしい。
理事長の言うことは案外もっともなことだが前の理事長の「暇があれば机で勉強」という指導法と余りにかけ離れているので反対する教員達が多々いた。
しかしその全ての反対者を半ば強引に抑え込み今の制度が確立された。
そしてこの制度が始まって三年が経った今では教員達も「生徒達が明るくなった」「部活でストレス解消しているのか勉強に熱が入るようになった」などかなりの好評を得ている。
???「はぁ〜…」
溜め息は止まらない。
どうやらこの少女、中学時代は陸上部だったようだがこの学校には陸上部が存在していなかったようだ。
???「あふぇ?明日香ひゃん?あにやってんにょこんなときょろで」
???「あっ…瑞希ちゃん…」
庭園の入り口から声をかけた茶色髪の少女が小走りで走ってくる。その走り方はまるで小動物みたいで可愛らしい。その人物野球部の面々がよく知っている元気娘だった。
瑞希「どったの?」
瑞希は大きなキャンディを舐めていて元からの早口と合わせてさらに聞き取りづらい口調で喋る。
???「(あんまり聞き取れなかったけど多分私のこと心配してくれてるんだよね…)実は部活のことなんだけどね?」
私は悩んでいたことを友達の瑞希ちゃんに全部喋った。
ここで読者の皆さんに彼女のことを紹介しよう。
黒木明日香16歳。特徴のあるきりっとした目と綺麗な黒髪が評判になった美少女である。
男兄弟の中たった一人の女の子として生まれたのが原因なのか何にでも強気で向かっていき一部では反感を買っているものもいるらしい。
そんな彼女は勉強はもちろんのことスポーツでも輝かしい実績がある。
100m走インターハイ準優勝や走り幅跳びインターハイ三位。やり投げなんていうのにも挑戦している。
そんな彼女がスポーツ推薦にかからなかったのかと言われれば答えはNOだ。
では何故彼女が推薦で高校に行かなかったか?それには二つ理由がある。
一つは彼女の両親の問題。
彼女の両親(主に母親)の教育方針が英才教育ということだったのでこの有名進学校の夕陽ヶ丘高校に入学させた。
もう一つは彼女自身の考え方があったからだ。
自分で考えた結果陸上は趣味でやってただけだしそれにあんまり両親と衝突してもいいことがないので快くこの学校に入学した。
自慢ではないがこの学校に入れるぐらいの学力を持ち合わせていたのでそんなに勉強をしなかった。
だからこの学校の基本的なことは調べつくした。
この教室はどこにあるか、学校の敷地はどれぐらい広いのか、食堂のご飯は美味しいのか。
色々なことを洗いざらい調べまくり当然この学校に入れば部活に必ず入らなければいけないということもわかっていた。
なのに…
明日香「どんな部活があるかってことを調べてなかったのよね…。」
またその事実を知ったときのあの愕然とした気持ちが蘇ってきた。
あまりのマイナスオーラにさすがの元気娘瑞希も焦りを隠せずたまらずフォローした。
瑞希「いや…じゃあ他の部活に入ればいいじゃん!明日香運動神経いいじゃん!」
瑞希がこう言うのは先日の体育の授業が印象に残っていたからだ。
授業の内容は器械体操だったのだが人一倍目立っていたのはこの明日香だったのだ。
明日香「もちろんそれは私も考えたけどどの部活もぱっとしないのよねぇ…」
う〜…とまた唸りはじめた明日香がさすがに可哀想だなと思い瑞希は一緒に考えた。
そしてある考えが頭に浮かんだのである。
瑞希「じゃあうちの野球部のマネージャーになったら?」
明日香「へ?マネージャー?」
自分が考えもしなかったアイディアに一瞬言葉を失ったがすぐ我を取り戻して自分の言い分を言う。
明日香「私はマネージャーとかそういうのは…」
瑞希「大丈夫だよ!皆いい人ばっかりだから!」
明日香「いやそういう問題じゃなくて…瑞希「よし決まりね!じゃあ放課後行こうね!」
明日香「えっ…ちょっと…」
瑞希の目の輝きと強引さに明日香は何も言えず結局了承してしまった。
黄瀬「…はぁ……はぁ…!」
榊原「よし!もういっちょぉぉ!!!!」
榊原の声が聞こえたと思ったら一瞬にして白球が猛スピードで自分の横を通過していきそうになる。俺はそれを何とかダイビングをして止めた。
バシィ!!!
その乾いた音を聞いてようやく鬼と化した榊原は満足したのか終了!と大きな声を上げた。
野球から復帰して一週間。
さすがに半年のブランクというのは多大なものだったらしい。
自分の思った通りに体が動かずキャプテンに千本ノックをやらされていたのだ。
黄瀬「(実際千本以上打たれてると思うが…)」
黄瀬はなんとか体をベンチにまで持っていき体ごと倒れ込んだ。
そこへ更に頭に響く声が聞こえてきた。
瑞希「遼太郎!!何サボってんのよ!!」
黄瀬「…お前…の目…は…節…穴か…」
まだ息が整わないため途切れ途切れだが瑞希に文句を言う。
瑞希「節穴じゃないわよ!あれぐらいのノックで根を張るなんて情けないな〜。ねぇ?明日香ちゃん?」
明日香「えっ!?いや…よくわからないけど…」
黄瀬はここで見慣れない顔がいることに初めて気付いた。
黄瀬「ところで…その大和撫子はどなた…?」
明日香「やまっ…!////」
黄瀬「(意外とウブなのか?冗談で言ったんだけどな…。)」
だが案外冗談でもないぐらい顔も整った端正な顔だ。当の本人は慌てふためいてるが…。
瑞希「彼女は黒木明日香ちゃん。私の友達で野球部のマネージャーになるんだよ〜!」
瑞希が相変わらずのでかい声でこの女のことを言うとこの俺でもわかるくらい空気が凍った。
黄瀬「…なんだ?」
黄瀬はさすがに物音一つたてない野球部に気味悪さを感じたのか疑問の声をだした。
すると野球部の中でも目立たない影羽彗が俺に興奮しながら話してくれた。
影羽「お前この娘は今年のミス夕陽ヶ丘候補No.1の黒木明日香ちゃんだぞ!!!」
妙に声を張る影羽。そんなに声を張っても影の薄さは変わらんのに…。
黄瀬「へぇ…。(ってかうちの学校そんなもんがあったのか…。)」
俺達が喋ったのがスイッチだったみたいに野球部の面々が盛り上がりだした。
「ウォォォォ!!!」
「青春キターーー!!!!」
う、煩い…。なんじゃこの騒音は。俺はこういうワイワイガヤガヤが一番嫌いなんだ。
影羽「やったぜ!!初の女マネだーー!!」
…まだいたのかお前…。
黄瀬「ってか女マネなら瑞希がいるだろ。」
影羽「瑞希ちゃんはもう相手は決まってるだろうが!!」
…自惚れではないが恐らく俺のことだろう。
そりゃ俺自身あれだけくっつかれちゃ否定したくてもできん…。
明日香「あ、あの私…」
今まで野球部のあまりの喜びように唖然としていた明日香がようやくここで口を挟んだ。
瑞希「どうしたの?」
瑞希は少し首を傾げながら明日香のほうを見る。
明日香「私…マネージャーにはなりませんっ!!」
……………
一瞬の静寂があった後…
黄瀬を除く全員「えぇぇぇぇぇ!!!!?」
瑞希「ど、どうして?」
明日香「ごめん!私実はあんまり洗濯とか掃除とか得意じゃないんだ…だから…ごめんなさい!!」
明日香は勢いよく頭を下げた。それを見た野球部の面々は落胆した表情を見せながらとぼとぼとグラウンドへと散っていく。
黄瀬「…よし。そろそろ練習再開するか。影羽キャッチボール。」
影羽はそう言われると前よりも影が薄くなりながらグラウンドへと駆けていった。
瑞希「……………」
明日香「…ごめん明日香ちゃん…」
本当に申し訳なさそうに俯く明日香を見てなんだかこっちのほうが申し訳なくなってきた。
瑞希「顔上げてよ…!私が無理矢理連れてきたんだから…」
瑞希が涙混じりにそう言うと明日香は顔を上げて足をグラウンドの出口のほうに向けて歩を進めていく。
そして手が出口の柵にかかった…
黄瀬「あっ…」
その時ベンチの横でキャッチボールしていた黄瀬達のボールが明日香の横へと転がっていった。
黄瀬「わりぃ…こっち放ってくれないか?」
明日香は横に転がってきたボールをしゃがんで掴み黄瀬に向かってボールを投げた。
ヒュン!!
一瞬空を斬ったような鋭い音を発した後ボールはグラウンドの最奥まで飛んでいった。
明日香「あっ!ごめんなさい!」
黄瀬「……………」
明日香が謝っているのが目に入ってないのか黄瀬は呆然としている。
それを見た瑞希が何してるのよと言ってボールが飛んでいったほうへ走っていった。
明日香「本当にごめんなさい。じゃあこれで…」
黄瀬「ちょっと待って!!!」
立ち去ろうとする明日香の背中に声を発する。
明日香「…何?」
明日香は黄瀬のほうを振り向くと小首を傾げた。
黄瀬「野球部に入らないか?」
ゆっくりとそしてはっきりとそう言葉を発した。
明日香「だから私はマネージャーは…黄瀬「違う!!選手としてだ。」
明日香は最初言われている意味がわからなかった。
ようやく言葉の意味を理解するともちろん反論する。
明日香「何言ってんのよ!私は女だよ!」
黄瀬「…さっきのボール…すごいノビだった。あんなボールを投げれる人が野球をやらないなんてもったいない。俺の知り合いで同じような球を放る人がいる。その人も君みたいに女性だったが今でも元気に野球をやっている。だから…」
明日香は驚いた。自分に才能がある…?どうやらあの剣幕を見ると本当のことなんだろう。
考えてみればどこの部もここまで熱心に誘ってくれた部はなかった。
黄瀬「俺達は君が必要なんだ…!」
私が…必要…?
明日香は考えた。
考えに考え抜いた結論は…
ここでやらなかったら後悔するかも…
明日香「…わかった。ちょっと仮入部してみてもし私が心から野球をやりたいって気持ちになったら…野球部に入る。」
黄瀬「…わかった。」
一瞬の沈黙の後二人は吹き出してニコッと笑いあった。
影羽「…あの〜…俺がいること…忘れてません…?」
これが夕陽ヶ丘高校野球部の伝説の始まりであることは誰も知る由もなかった。