この日の準決勝第一試合はいつも以上に気温が上昇し汗ばむ一日となっていた。

まるでこれから行われる試合を暗示しているかのようだった。

「一回表京徳商業の攻撃は一番ライト倉持さん」

アナウンスがかかると静かに左打席に入り足場を固めだした。

昨日見た感じではすごくテンションが高い娘という印象があったが静かでそして研ぎ澄まされた集中力が体からにじみ出ていた。

明日香「(…すごい。)」

明日香はその集中力に賛辞を送り警戒心を強めることも怠らなかった。

『行けーー天才!!!』

『今日も華麗なバットコントロールで安打量産頼むぜ!!』

京徳の昔からのファンだろうか?

三塁側スタンドから中年の男達が声援を送っていた。

倉持「全く…。応援してくれるのは嬉しいけど皆揃って天才天才って…。結構プレッシャーだと思わない?」

倉持は自虐気味にキャッチャーの田代に話しかけた。

田代はまぁ…という曖昧な返事を返すと倉持は満足したのかニコッと笑ってピッチャーの明日香に目線を向けた。

「プレイボール!!」

審判の大きなコールがかかり試合が始まった。

実況「今試合が始まりました。ピッチャーの黒木第一球をバッター倉持に対して投げました。ストライク!いやぁ解説の武田さん。素晴らしい真っ直ぐがアウトローに決まりましたね。」

武田「はい。今の球は144kmでした。球威も制球も文句なしの球でしたね。」

さすがに準決勝ともなるとテレビ中継が行われていた。

実況「今日はまさしくダークホース同士の対決です。武田さん勢いはどちらもあると思いますがこの試合の鍵となるのは何だと思いますか?」

武田「やはり夕陽ヶ丘高校、京徳商業共に先発投手の出来如何で勝負が決してくると思います。」

実況「なるほど。では黒木、二宮両投手が鍵となるのではということですね?」

武田「まぁそうですね。特に京徳打線は今大会チーム打率.421と大変当たっているので要注意したいですね。」

実況「わかりました。武田さんの言ったとおり今大会の京徳打線は非常に当たっております。その好打率の要因は紛れもなく彼女でしょう。一番の倉持は今大会.822という脅威的な数字を残しています。」

実況が淡々と進む中試合はいきなり止まっていた。

明日香「(…なんだろう…。この不気味さ…。)」

明日香はここまで投じた三球。一つも振ってこない倉持が不気味だった。

それはキャッチャー田代も同様に同じことを考えていた。

田代「(おかしい…。彼女の打撃データは満足にとれたわけじゃないけど昨日の試合五打席全て初球をヒットにしていた。なのになんで手を出さないんだ…?)」

田代は迷った挙げ句三度アウトローに構えた。

田代「(やっぱりただ手がでないだけだ。今日の明日香ちゃんの球はかなりきている。2-1のカウントなら多分チェンジアップを待っている。ここはストレートで真っ向勝負だ!)」

明日香はこのサインに頷き大きく振りかぶって腕をしならせた。

明日香「(あっ!?)」

明日香は投げた瞬間自分の投じた球の行くところがわかった。

明らかに構えてるところから大きく外れて高めに抜けた。

田代「(大丈夫だ…。これだけのボール球ならバットは届かない。)」

明日香のボールは倉持の頭の位置ぐらいの高さに抜けていた。

ほっとしたバッテリーだったがそれも束の間だった。

倉持「…ねぇ…私親切だから教えてあげるけど…あんまり京徳舐めない方がいいよ…。」

田代「えっ…?」

倉持がそう呟いた瞬間倉持はボールに飛びつくようにバットを上から被せた。

カキーン!!!

明日香「!?」

田代「センターバック!!!」

田代がそう叫んだと気づいた時にはもう打球はものすごいスピードでセンターの頭上を通過していた。

武沢「(あのボール球打ってここまで飛ばすって…嘘だろ?)」

武沢が打球にようやく追いつきボールを捕ったときにはまた新しい叫び声が耳に入ってきた。

羽柴「武沢!!三つ!!」

武沢「えっ!?」

なんと武沢がかなりのスピードで打球に追いついたのにも関わらずランナーは三塁へと向かっていた。

羽柴「しっ!!」

武沢からの中継のボールを受け取り羽柴は三塁へ力いっぱい右腕を振り下ろした。

しかし黄瀬はその送球を受け取るだけだった。

実況「スリーベース!!!なんと京徳いきなりノーアウト三塁!!」

三塁ベース上で悠々とレガースを外している倉持をバッテリーは唖然と見つめていた。

明日香「(あんなボール球を打つなんて…。)」

特にピッチャーの明日香は動揺を隠せない。

当然だろう。ピッチャーというのは失投を打たれるのが一番悔いが残る。しかもそれがボール球ならショックは大きい。

田代はドンマイドンマイ!次のバッターに切り替えよう!と声をかけた。

しかし当の田代も迷っていた。

バッテリー二人ともがたった一人のバッターに狂わせかけられていた。

海藤「よっしゃーー!!!一発どでかいのを放り込んでやるぜ!!!」

海藤はそう言いながら2、3回素振りをして右バッターボックスに入った。

田代「(このバッターがなんで二番にいるんだ…?)」

田代はバットがまるで爪楊枝に見えるぐらいの大男を見上げながらそう考えていた。

実況「いや〜しかし京徳は打線の組み方が面白いですね〜。」

武田「そうですね。特にこの二番の海藤君は体格は完全に四番バッターですからね。」

海藤は周りがそんなことを言ってるのも知らず大きく構えた。

明日香は田代のサインに頷きセットポジションから第一球を投げた。

海藤「ウォリャァァァァァ!!!!」

ブーン!!!!

そんな音が耳に入ったと思ったすぐ明日香の帽子がホームベースからくる風で帽子が飛んだ。

「…ス、ストライク。」

審判もあまりのスイングに呆気にとられていたがしばらくしてストライクコールをした。

そのコールまでスタンドもシーンと静まりかえっていたがこれを境にスタンドが割れんばかりの歓声に包まれた。

『す、すげぇーー!!』

『あれが高校生のスイングかよ…。』

スタンドから驚愕の声が聞こえてくる中マウンド上の投手も震え上がっていた。

明日香「(な、なに…?今の?)」

明日香は冷や汗をかきながら海藤を見る。

すると海藤は明日香を見てニヤッと笑った。

明日香はさらに恐怖が増大してきた。

明日香「(怖い…。あんな小さい娘にもあんなところまで飛ばされたのにこんな大きい人だったら海の向こう側まで飛んでっちゃうよ…。)」

明日香が恐怖に怯えてるとき田代は全く逆のことを考えていた。

田代「(いける。あれだけバットを振ってくれたら間違いなく緩急には弱いはずだ。)」

田代はそう確信して明日香にチェンジアップのサインを出した。

明日香はそのサインを見てびっくりして慌てて首を横に振った。

明日香「(あんな大きい人に遅いボールなんか放ったらそれこそ本当にピンポン球みたいに打たれるよ…。)」

しかし田代は頑としてサインを変えようとはしなかった。

田代「(大丈夫だ。僕を信じて。)」

田代の空気を読んだのか明日香は覚悟を決めて頷いた。

そして山なりの球がキャッチャーミットに向かっていった。

明日香は目をつぶったが快音が耳に入ってくることはなかった。

「ストライッ!」

今度は少々静かだった一塁側スタンドが大歓声を送った。

田代「(やっぱりだ…。いけるよ。もう一球チェンジアップでも間違いなく空振りだ。)」

明日香「(うん…!)」

明日香はすっかり自信を取り戻し第三球を投げるために足を上げた。

その瞬間考えてもいないことが起きた。

黄瀬「走った!!!!」

黄瀬の大声も海藤の叫び声に完全にかき消されていた。

ブン!という音とともに力ない音がミットから出た。

「ストライッ!バッターアウッ!!」

海藤はクソ!と言いながらバッターボックスを離れた。

不敵な笑みを残して…。

明日香「田代君!?」

田代「えっ…?」

海藤が去った後視界に飛び込んできたのは先ほどまでバッターボックスにいた小さな女の子だった…。

実況「セーフ!!!先制点は京徳商業!!なんとホームスチールです!!倉持一人で一点をもぎ取りました!!」

…速い…。

グラウンドにいる全員がそう思った。

恐ろしい走塁センスである。

二宮「ナイス!倉持!」

倉持「これぐらい光ちゃんには楽勝なのだ!」

えっヘん!と言って胸を張った。

『すごすぎるぜ…。いつの間にホームに向かってたんだ?』

『さぁ…?あの馬鹿でかい声に気を取られてたから…。』

球場が未だ騒然としている中夕陽ヶ丘高校の監督佐沼は感心して唸っていた。

佐沼「(…さすがはここまであがってきたチームじゃ…。今の作戦なんぞ見事な攻撃じゃ…。)」

佐沼は明らかに落胆している明日香と田代を見ながらまた思考をめぐらせた。

佐沼「(今のはバッターを上手く使った本盗じゃ。あのバッタ ーが大振りをまず見せてバッテリーに遅い球を投げさせる。これをまた空振りしてまるでタイミングがあってないような"錯覚"に陥る。そう。錯覚なのじゃ。ここがポイントじゃな。ワザと空振りしていたのじゃ…。もちろん確実に当てられるミート力もないみたいじゃがあれだけ大声を出したのは黄瀬の声をかき消すため…。そしてあの体の大きさで右バッターボックスに立たれると三塁が全く見えんようになる。奴さんの監督…なかなかやるの〜…。)」

佐沼は相手ベンチの前の方に座っている青年を凝視していた。

その後明日香は動揺を隠せないながらも三番田中、四番沼淵をなんとか打ち取りベンチに帰ってきた。

明日香「…監督…。すいません…。」

明日香は帰ってくるなり監督に頭を下げた。

佐沼「いつまで気にしてるんじゃ!ほらさっさと行ってこい!!」

明日香はそう声をかけられて大きく頷き元気よく走っていった。

佐沼「(む〜…。しかしこんな展開になるならこんな打順組まなきゃよかったの〜…。)」

佐沼はそんなことを思いながらスコアボードに書かれている自軍の打順を眺めていた。











黄瀬「…キャプテン…。」

榊原「なんだ?」

榊原が黄瀬にそう言い返した。

黄瀬「暑いっすね…。」

榊原「確かにな…。だが夏だ。しょうがない。」

この男が当たり前のことをいうと当たり前に言うと妙に説得力がある。

黄瀬「暑いのもあるっすけど…暇っすね…。」

榊原「確かに…それはそうだな…。」

榊原はそう言うとスコアボードに目を移した。



先攻 京徳商業   後攻 夕陽ヶ丘高校

1 倉持 9   1 黒木 1
2 海藤 2   2 影羽 3
3 田中 5   3 武沢 8
4 沼淵 3   4 羽柴 6
5 二宮 1   5 青田 4
6 熊城 8   6 久保 7
7 村山 6   7 田代 2
8 長田 7   8 榊原 9
9 矢吹 4   9 黄瀬 5



実況「さぁ…解説の武田さん。先制された後の一回裏夕陽ヶ丘高校の攻撃ですが…。」

武田「そうですね。この回に当然一点を返したいんですが打順を変えてきましたからね。」

実況「確かに解説の武田さんが言った通り夕陽ヶ丘高校は打線を大きくいじってきました。この意図はあるんでしょうか?」

武田「僕にはわかりませんが恐らく右アンダースローの二宮君対策だと思いますね。一から五番まではすべて左バッターを並べてきてますからね。」

武田の言うとおり夕陽ヶ丘はアンダースローと対戦するときの対策として左を並べてきたのであった。

黄瀬「だからって…九番はないよな〜…。暇でしょうがねぇよ…。」

黄瀬は独り言を監督に聞こえるように言う。

さすがにまずかったか榊原に怒られた。

明日香「お願いします!」

大きな声で審判と投手の二宮に挨拶し明日香は左バッターボックスに構えた。

最初明日香は右で打っていたが本人が左でも打てることに気がついたらしく今はスイッチヒッターとして打席では活躍している。

審判のプレイというコールがかかり投手の二宮が大きく振りかぶった。

そして体が地に沈んでいき腕がまるで鞭のように綺麗にしなった。

バシィィン!!!

「ストライッ!」

二宮のストレートが内角いっぱいに決まる。

明日香はその球を見て唖然としていた。

明日香「(…は、速い…。)」

明日香はそう思いスピードガンの数値を見た。

明日香「(えっ?)」

明日香に投じた初球のストレートの球速表示は122kmだった。

明日香「(嘘でしょ…。あれが120km代なんて…。)」

明日香がそう考えているうちにもう二宮は振りかぶっていた。

そして第二球がまた綺麗に外角に決まった。

「ストライクツー!」

明日香はまた手がでない。

まるで手元で真上に変化しているようなストレートである。

明日香はまた見送ってもしょうがないのでとりあえずおもいっきり振ることを決めて打席内で構えた。

そして早いテンポで二宮が第三球を投じた。

その球は真ん中にスーッと入ってきた。つまり失投である。

明日香はその球目掛けておもいっきりバットを振った。

しかしボールはバットから逃げていくように横に変化していった。

「ストライーッ!バッターアウッ!!」

三塁側からまた大歓声が起きる中明日香はまだ打席内で唖然としていた。

審判に注意されてようやく打席内を後にしベンチへと帰ってきた。

黄瀬「どうだった?」

黄瀬は本当に暇なのかベンチの奥であぐらをかきながら明日香にそう聞いた。

明日香「…打つ瞬間にボールが逃げたの…。」

黄瀬「Hシュート」

明日香「えっ?」

明日香は黄瀬が呟いた瞬間振り向いた。

黄瀬「お前がやられた球だよ。球速122km。初球のストレートと同じ球速で大きく変化した。まさしく魔球で奴の決め球の一つだ。」

明日香は黄瀬の長々とした正確な説明をへぇ…と感心した声でそう言った。

しかし明日香はあることが頭に浮かんだ。

明日香「…なんでそんなに二宮君のこと知ってるの…?」

黄瀬「………さぁな…。」

黄瀬ははぐらかすように帽子で顔を隠した。



一塁側スタンドの後方。

Tシャツにジーパン、そしてビーチサンダルというラフな格好をした男がいた。

その男はニヤニヤしながら資料を手にしていた。

???「さぁさぁ…。黄瀬ちゃん俺のデータ無駄にしないでよ〜?」

男はそう言うとまた資料に目を向けてニヤニヤ笑っていた。